東京禅センター

「心の洗濯―知足―」

圓通院 副住職

天野 太悦

 

梅雨明けの待たれる季節となりました。

洗濯物が乾きづらい日々もあと少しの辛抱です。

 

先日TVで、100歳以上の方が人生で衝撃を受けたものとして、洗濯機の発明が紹介されていました。それまでは、盥(たらい)と洗濯板を使い、洋服一枚一枚を手洗いする生活を送っていたのです。洗濯機の出現で、家事はさぞかし捗ったことでしょう。しかし全自動洗濯機に慣れた今、もし元の時代に戻れと言われたら、きっと不便に感じ不満を覚えると思うのです。

 

この一年、私たちの日常生活はコロナ禍で様々に制限されてきました。

多くの方が、心が生乾きのような、やるせない思いを抱えていることでしょう。

 

「遺教経」に次の一節があります。

                                                                                                    

「汝達比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すと雖も、猶お安楽為りとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意に称わず。不知足の者は富めりと雖も而も貧し。知足の人は貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲の為に牽かれて、知足の者の憐憫する所と為る。是れを知足と名づく。」

 

(意訳)

「修行者たちよ、もし様々な人生の苦しみから逃れたいと思うなら、足ることを知るということをよく観察しなさい。知足の教えは、感謝の喜びをもって今日一日を暮らすことにあります。足ることを知る人は、たとえ地べたに寝転んでも、幸せを感じることができます。足ることを知らない人は、どんなに立派な部屋で寝ていても満足することが出来ません。また足ることを知らない人は、どんなに贅沢な暮らしでも心が満たされず、貧しいです。足ることを知る人は、どんなに粗末な暮らしでも心が満たされ、豊かです。足ることを知らない人は、いつも欲望に引きずられていて、足ることを知る人から、気の毒がられています。これを知足というのです。」

 

足ることを知るとは満足するということです。洗濯機がない時代は、ないなりに日々の暮らしに満足していたはずです。今の私たちの生活は、ともすればその時代に戻されたようなものなのかもしれません。

スイッチを押して、全自動で心の悩みや苦しみを洗い流し、パリッと張りが出るように乾かすことが出来れば言うことはありませんが、それが使えない今、心を洗濯するためには、一つ一つの悩みや苦しみを手洗いし、足りないものの中に足ることを見出すことが必要ではないでしょうか。

 

 

私は東京都内のホテルに就職し、やがて念願の海外勤務が叶い、ヨーロッパに2年間の出向となりました。早い段階で1年延長が決まり、3年が過ぎようとした頃、後任が決まり、海外生活も終わりがみえてきました。しかしその後、中々後任のビザの申請が通らずに時間が過ぎていきました。私にとっては、いつ日本に帰るか分からない、もどかしい時間です。2週間後にはここにいないかもしれない。そうした日々が続くと、段々と気もそぞろになり、仕事にも私生活にも張り合いが失われていきました。3年も2・3か月が過ぎた夏、いてもたってもいられず2週間ほどの長期休暇を申請しました。オーストリアでは5週間の休暇が義務付けられていましたが、それまでは遠慮し、分割して取得していたのです。リュックサック一つを背に、夜行列車でウィーンからポーランドのワルシャワに向かい、南下してクラクフ、その後飛行機でクロアチアのドブロブニクに渡り、スプリット、ザグレブ、スロベニアのリュブリャーナ、セルビアのベオグラード、ブルガリアのソフィア、ルーマニアのブカレスト、と今まで訪れたことのない場所を巡りました。行く先々で景色を眺め、歴史や文化に触れ、名物の料理を食べながら、じっくりと自分の抱える不安と向き合ってみました。すると、今、こうした時間を過ごすことが出来るのは、帰国が延期になったおかげではないだろうか。満ち足りていないと感じていたもどかしい日々も、元々私自身が望んでいた生活であり、今のままで十分幸せではないだろうか。素直にそう思えるようになったのです。休暇の前後で私の置かれた環境や状況が変わったわけではありませんが、休暇から戻った私は、結果的に帰国までの、更に半年以上の月日を、それまで抱えていたやるせない思いを洗い流し、パリッと張りのある心で過ごすことが出来たのです。

 

私たちの梅雨明けはもう少し先になるかもしれません。

雨上がりの虹を待ち望むことは、決して悪いことではありませんが、足りないものばかりを求めているだけでは、却って悩みや苦しみは大きくなるばかりで、心はいつも生乾きのままです。

 

多くの方が命と生活に不安を覚える現状では、当時私が抱えていた悩みなど無いも同然です。

しかし、例えどんなに土砂降りでも、その状況を受け入れ、足りないものの中に足ることを知る、心の洗濯を行うことが出来れば、いつの時代も必ず今日の一日を心豊かに過ごすことが出来ると、私は信じています。

 

 

参考図書:無文全集第9巻 山田無文著 禅文化研究所

    :遺教経に学ぶ 釈尊最後の教え 松原泰道著 大法輪閣

    :新訳 遺教経―釈迦の最後に残した真理の花束― 上田祖峯著 三省堂

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