東京禅センター

「歳々年々人不同」・・・白い髭

光明寺  今野 慈耕 

 

 うららかな日差しの下、様々な花がきれいに咲き誇っています。いつもと変わらない気持ちのいい季節がやってきました。私たちを取り巻く社会状況が昨年来新型コロナウイルス感染拡大により大きく変化しているにもかかわらず。そんな春の日の午後、私は「気持ちいいなぁ。こんな時間がずっと続けばいいのに。」と思いつつ、温かな風に吹かれ庭の桜を眺めていました。それは不安な現状を忘れさせてくれる穏やかなひとときでした。その時ふと「年々歳々花相似 歳々年々人不同(年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず)」という言葉を思い浮かべました。

 これは古代中国の詩人である劉庭芝が詠んだ「白頭を悲しむ翁に代わりて」(『唐詩選』七言古詩)という詩の中の一節です。「年ごとに花は同じように咲くけれども、それを見る人は年ごとに違う」と訳せます。暖かな春の日差しの中咲き誇るたくさんの花。毎年変わることなく繰り返される大自然の営みです。しかしその一方で花を見ている人間は毎年違う。今年はもう見られなくなっている人もいれば、初めて見る人もいるでしょう。同じ花を見ている人でも昨年と今年では違います。自分で気付いていないだけで全く同じのはずはありません。それを繰り返してだんだん終わりへと向かっているのです。果てしなく続く大自然の営みに比べ、あまりにも儚い人間の生命を嘆いて詠まれた詩です。実は私がこの言葉を思い浮かべたのには理由があります。それは先日私の身体に起こったある異変でした。自分にとってあまりにもショッキングな。

「はぁ、何これ?」。私は鏡に映った自分の顔を見て思わず声をあげてしまいました。その日来客の予定のあった私は、少し伸びていた髭を剃ろうと洗面所に向かいました。洗顔後シェービングホームを手に取り肌に塗ろうと何気なく鏡を見ました。そこに映った自分の顔、見慣れたいつもと変わらない顔の薄汚く少し伸びた髭の中に、キラッと光る見慣れないものを発見したのです。「なんだろう?」と目を凝らしてよく見てみるとそれはなんと白い髭でした。それも一本だけでなく何本も。自分では黒いのが当たり前だと思っていた髭が白くなっている、そんな自分の身体に起こった思いもよらない変化を目の当たりにしてとてもショックを受けたのです。まさに「何これ?」でした。髭が白くなっているということはおそらく髪も…。しかし日頃髪は剃っていますし、それに加えて年々残念なことになっているので少し伸びていても自分では気付いていませんでした(妻は気付いていたようですが)。あまり自覚してはいなかったのですが、確実に身体は変化し続けているようです。いくら認めたくなくても。まさに「歳々年々人不同」という事実を目に見えて痛感させられた出来事でした。

 お釈迦様がお気付きになったこの世における三つの真実。それが仏教の教えの根本である「三法印(さんぼういん)」です。その内の一つが「この世のものは全て移ろい変化し続けてとどまることがない」という真実。これが「諸行無常」です。よく知られている言葉なのでご存じの方も多いでしょう。諸行無常といえば「儚い、もののあわれ、もの悲しい、終わり」といったイメージを持たれている方が多いのではないでしょうか。しかしこれは有名な「平家物語」の冒頭部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」から持たれているイメージであり、本来はそのような人間の感情は何も入りません。単にこの世の真実を表している言葉なのです。ですから変わってしまうことを嘆いてばかりいても仕方がありません。時の流れは止められず、私たちが変化することもまた止められないのが真実なのですから。それならその中でどのように生きていけばいいのか。「歳々年々人不同」という事実のとらえ方を少し変えることでヒントを探していきたいと思います。なお三法印の残りの二つ「諸法無我(しょほうむが)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」につきましては、文字数の関係上またの機会に。

 流れ続ける時の中で、どんなに待ち望んでいる日であろうと辛く苦しい日であろうと明日が必ず来るという保証はありません。ただ確実なのは今日という一日、一生で二度と巡っては来ない貴重な一日を私たちが過ごせていることだけです。だからこそ「あたりまえ」ではない「ありがたい」一日だととらえていくことが大切です。そんな貴重な一日一日を積み重ね、変わり続けながらもやっと出会えた今年の花です。「変わってしまったけれど無事に今年も見ることが出来た」という喜びとしてとらえていきたいものです。「変わってしまった」という嘆きではなく。残念ながら時は遡ることも止めることもできません。私たちに唯一できることは今日という一日を精一杯大切に過ごすことだけです。迎えることができたという喜びとともに。変わり続けているのもまた自分が毎日を無事に過ごせている証なのですから。

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