東京禅センター

「春江の潮水 海に連なりて平らかなり」

春江潮水連海平  春江の潮水 海に連なりて平らかなり
海上明月共潮生  海上の明月 潮と共に生ず
灩灩隨波千萬里  灩灩(えんえん) 波に隨いて千萬里
何處春江無月明  何處(いずこ)の春江か月明無からん 

 

 初唐(六一八年から約百年)の詩人 張若虚(ちょうじゃくきょ)の作で、春江(春の長江)を題材に謳った、有名な詩「春江花月夜」の一節です。

訳してみると以下のようになります。

 

春の長江の潮は遠く海までも続き平らかだ
海上の明月は おりしも満ちてきた潮とともにのぼってきた
波にきらめく月の光は千万里も続いている
この春の長江のどこに月明かりの届かないところがあろうか

 

 長江は上海市の辺りで東シナ海に注ぎ込みます。河口辺りは川幅が広がり、海との境界線ははっきりしません。夕暮れとともに静かに満ちてきた潮を見つめていると名月と呼ぶべき月が姿を現しました。月光は見渡す限りを遍く照らしています。禅宗では悟りの比喩として清らかに辺りを照らす月が用いられます。また遍く照らす優しい月光は、他人に手を差し伸べる慈悲のたとえでもあります。悟りや智慧・慈悲といった言葉では端的に表せないものを月にたとえて、修行僧は禅の修行に打ち込むのです。

 

 月と聞いて思い出すのは、私が修行した平林寺専門道場(埼玉県新座市野火止)の先師 野々村玄龍老師の室号の「指月庵」です。月(悟り)そのものを体現することは難しいが、せめて月(悟り)はあそこに輝いていると指を差すことくらいはできるようにと願いを込めたと老師から伺ったことがあります。

  三月二日は指月庵老師のご命日です。密葬のときは大雪が降り、その直後には東日本大震災が起きた激動の年でした。私が平林寺専門道場に入門した平成十七年当時は四〇名ほどの雲水(多分日本で最多であったと思われる)を率いて、禅風を挙揚されていました。指月庵老師は島根県に生まれ、十八歳で龍安寺の弟子となり、平林寺門道場で多年修行され法を嗣ぎ、寿福寺(臨済宗建長寺派、川崎市)の住職を経て、平林寺専門道場の師家に就任され、延べ百人の雲水を接化(禅の指導)をされ、多くの信者が集まりました。厳しくも綿密で、小柄ながらも豪快な人柄に僧俗皆が引き込まれていました。月(悟り)はあそこに輝いていると指を差している老師そのひとが温かく慈悲に満ち、真心でもって檀家や信者さんの心を受け止めておられました。

 

  「春江花月夜」を読んでいると、月の遍く照らし出す神々しさに注目しがちですが、指月庵老師のことを思い出して読み返すと、光を受け止める長江や東シナ海の水面もまた悟りの象徴であると感じました。

 月に行くことは現代の技術をもってしても容易ではありません。それは悟りという名前に惑わされ、特殊な能力を身につけるような修行をすることかもしれません。「仏法に不可思議なし」という言葉通り、誰もが実感できて頷くことができる教えこそ禅仏教の教えです。静かな水面は月や星空をそのまま映し出すように、穏やかな心は他のひとの悲しみや喜びをありのまま照らし出すことができます。その鏡のような心は本来生まれながらに具えているもので、坐禅や生活を修めることで保つことができるものです。月(悟り)という目標をもって日々たゆまなく努力し続けなさいという教えが、「月を指差す(指月)」という言葉ではなかったかと思う次第です。

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