東京禅センター

「こういう今だからこそ 手をとって共に行きましょう」

願行寺 入不二香道

 コロナ禍のニュースが毎日報道されています。皆さん不安な日々を過ごしていることでしょう。目に見えない敵と先の見えない不安を抱えて過ごす日々は本当に苦しく辛い戦いだと思います。まず、感染され苦しい闘病生活を送られている皆様の一日も早い快復を祈っています。そして、この大変な状況の中、毎日医療を続けてくださっている医療関係の皆様には、心より感謝申し上げます。コロナウイルスが一日も早く終息し、また以前のように友人と時間を気にせず談笑できる日が戻ってくることを願ってやみません。

まだ先の見えない日々が続きますが、どうぞ身体を大切に過ごしてまいりましょう。

 

 昨年檀家さんの法事の席でこんな話を聞きました。

「私たち兄弟は今までそんな激しい兄弟げんかはしたことがありません」と、話してくれました。

 その方が小学校四年生のころ、お母さんが町の中心部の病院に入院することになったそうです。病院に行く前にお母さんが「すぐ帰ってくるから弟の面倒をみて、お父さんおばあちゃんの言うことを聞いてね」と言って入院したそうです。

 何日か過ぎたころ学校から帰ってみると、玄関先で幼稚園から先に帰っていた弟が「お母さんに会いたい」と言って泣いていたそうです。いくら説得しても泣き止まないので「じゃあ、バスに乗って連れて行ってあげる」と、二人でお母さんの病院に行ったそうです。突然押し掛けたので、お母さんは二人の姿を見てビックリしたそうですが、弟やお母さんのうれしそうな顔を見た時、連れてきてよかったと心から思ったと、当時を振り返って話してくれました。お母さんが入院してからの家のことや、学校の話を沢山したそうです。あっという間の時間でしたが、「遅くなるとおばあちゃんが心配するよ。」と言われ、帰り際に「二度とこんな危ないことはしないでね」と約束し、家に帰るバス停に向かったそうです。

 その途中で弟が「お兄ちゃん、のどが渇いた。ジュースが飲みたい」と駄々をこねだしたそうです。しかし、お金は帰りのバス代しか持っていなかったのです。弟に「もしここでジュースを買ったら、家の近くのバス停の手前で降りて、歩いて帰らないといけないよ。歩ける?」と聞くと、「できる」というので、一番安いジュースを買ってあげました。バスに乗れた区間は、家の四つ手前のバス停まででした。およそ二キロの道を、弟と手をつないで帰りました。

 途中何度も休みながら、一緒に歩いたそうですが、とうとう弟が歩けないと言い出しました。日も暮れかかってきたので、おんぶして歩いて帰ったそうです。すると途中で、弟が背中で寝息を立てて寝たそうです。起こすのもかわいそうなので、そのままおぶって残りの道を歩いて帰ったそうです。家の前ではおばあちゃんが心配そうに出迎えていたそうで、「お母さんから電話があって、心配でここで待ってたんよ」と、自分たちの行動を叱られることなく頭をなでてくれたそうです。

 「実はこの時、お母さんに一番会いたかったのは自分で、仕事で忙しそうにしていたお父さんには迷惑をかけるのではと思い言えず、弟を口実に一緒に行く事ができ、今でも弟には感謝している。帰り道もおんぶして疲れたけど、一人ではなかったので心細くなくてよかった」と、そして「あの時以来、出かけるときは余分にお金を持つようになった」と、「このことがあったのでたぶんそんなにけんかをすることがなくなったように思う」と、当時を振り返りながら話してくれました。

 

 禅の言葉に「把手共行」(手を把[と]って共に行く)(てをとってともにゆく)があります。禅での詳しい解釈は省きます。簡単に言いますと、仲良く一緒に歩くということです。

 今私たちは、この時間を一緒に歩んで行く同志です。禅語では「手を把って共に行く」とありますが、つなぐのは手だけではなく、心と心もつなぎ合えば、思いとか、願いとか、行いとかが同じ方向に向かうことができるのです。

 コロナ禍の前は、何気なく親しい友人と顔と顔を合わせ、他愛無い時間を楽しんでいたことがどんなに素晴らしい時間だったか改めて気づかされました。

 自粛生活の中で、先の見えない日々は続くと思います。そういう私たちにできることは、穏やかに過ごすことです。以前のように友人と顔を合わせて語り合える日々を待ち望みながら、願いはひとつです。皆で「手を把って共に行く」ことを続けてまいりましょう。

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