東京禅センター

鑊湯(かくとう)に冷処無(れいじょな)し

寳泰寺 藤原良敬

 

 コロナ禍の終息の目処がなかなか立たない日々が続きますが、先日、久しぶりに自分が修行をさせていただいた僧堂を訪れる機会がありました。

 見知った顔の修行僧達の中に、この春から入門した新到さんとよばれる新人修行僧も何人かいました。皆一様に、ぎこちないながらも懸命に取り組む姿を見ていると、「鑊湯(かくとう)冷処無(れいじょな)」という禅の言葉を思い出しました。

 この「鑊湯(かくとう)に冷処無(れいじょな)し」の「鑊湯(かくとう)」とは煮えたぎった湯のことで、沸騰した釜の湯はどこを取っても煮えたぎっており、一滴たりとも冷たい水はない、ということです。これは「どんな事をするにしても全身全霊、一心不乱に事にあたる。自分に与えられた事を一生懸命やる。」という意味があるのです。

 先輩修行僧の言うことを一言も聞き漏らすまい、と真剣な眼差しで話を聞き、メモを取っている新到さん達の姿は、まさに「鑊湯(かくとう)に冷処無(れいじょな)し」にふさわしいと言えます。

 この言葉は、実は私が修行道場に入門する前日に、師匠から教えられた言葉なのです。

 ごく普通の家庭で育った私が、今から20数年前、ふとした御縁をいただき、妙心寺塔頭の弟子になりました。師匠は大変厳しい方でしたが、私を我が子のように大切にして下さり、無事に得度式(出家の儀式)をする事が出来ました。と、ここまでは良かったのですが、頭を丸めた後に「臨済宗の僧侶は修行の為に僧堂に行かなくてはいけない」と聞かされ、えっ、それを先に言ってほしかった、と思ったものです。

 予備知識のない私は、本などを見て、僧堂というところは「ご飯を食べた後、自分の食器にお茶を入れて沢庵で洗う」とか、「お風呂は4と9のつく日。つまり5日に1回しか入れない」

などという場所である、ということがわかってくると、だんだん憂鬱になっていったのです。出来たら、そんな所には行かない方法はないだろうか、と常に考えていたような気がします。

 でもそんなことはお構いなしで月日がたち、季節が冬から春になり、京都から静岡の修行道場に入門する日がやってきました。道場へは朝早くに行かなくてはいけないので、前日から静岡に泊まることになり、わざわざ師匠も一緒について来てくれたのです。でも私といえば、前日は不安と緊張で夕食もほとんど喉を通らない状態でした。

 師匠はそんな私を見かねてか、夕食後に駿府城のお堀に桜が咲いているから、と散歩に連れ出してくれたのです。でも気もそぞろで、せっかくの大満開の桜もほとんど目に入らず、相変わらずどんよりとお堀のまわりを歩く私に、師匠が立ち止まって声をかけてきました。そこはお堀の水をろ過する装置がついているのか、水がボコボコとしていて、まるでお湯が沸いているようでした。それを見ながら師匠は、「鑊湯(かくとう)に冷処無(れいじょな)し」という言葉を知ってるか、と尋ねてきました。知りません、と正直に答えると、懇切丁寧に意味を説明してくれ、最後に「一心不乱に一生懸命やってダメなら京都に帰ってくればいいよ。」とやさしい言葉をかけてくれました。その時はその言葉に、少し気が楽になったのを今でも憶えています。

 しかし翌朝早く、修行道場の山門の前に到着した時のことです。相変わらず煮え切らない私の背中にむかって、師匠が一言。

「もう京都には帰って来なくていいから」

 えっ、そりゃないよ、話が違うよ、と文句の一つも言いたい私を、有無を言わせぬ厳しい態度で見送る師匠。私は仕方なく山門をくぐり、玄関までの長い石段をトボトボ歩いていました。でも歩いているうちに、気持ちが不思議と落ち着いてきたのです。師匠の一言で、甘えや優柔不断が吹き飛んだのか、それとも背中に背負い込んでいた荷物を下ろせたのか、覚悟が決まった思いでした。とにかくやってみよう、やるしかない。そんな気持ちを胸に、道場の玄関の引き戸を力いっぱい開けたことを憶えています。

 あの頃を思い出す時、師匠が厳しくも思いやりに満ちたあの一言を言ってくれたおかげで、とあらためて感謝の気持ちでいっぱいになります。そして、あれこそが師匠の「鑊湯(かくとう)に冷処無(れいじょな)し」に他ならないのでは、と思うのです。

ページの先頭へ