東京禅センター

秋彼岸を迎えて

いつの間にか夏が過ぎ、お寺では秋彼岸の準備が始まろうとしています。

九州沖縄地方には大型の台風が襲来しようとしています。新型コロナウィルス禍が拡がり続ける中、なるべく台風の被害がないように祈るばかりです。

 

彼岸は春分と秋分を中日として七日間が設けられています。日本古来からの独自の風習であり、仏教は日本伝来後に結びついたものだと考えられています。

春分・秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈み、正確な真西を知り拝むことで西方にあるとされる極楽浄土への信仰を強くしたとも言われています。

通俗的には、中日は先祖に感謝して、残り六日は六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という修行の段階)を一日にひとつずつ修行するものだと説かれます。

 

さて、彼岸(あちら岸)とは悟りの境地や極楽浄土を表し、此岸(生死から解脱しない、この世の世界)から目指すべきところとされています。当てもなく大海を彷徨うことを強いるわけではなく、目で見える対岸に渡るということは、誰もが仏となるタネを生れながらに具えているという大乗仏教の教えの表れだと思います。それでも、川を渡ろうと服を脱いで、水に身体を浸して泳ぎ始める決心は容易なことではありません。流れの速い箇所もあるだろうし、思ったよりも時間がかかり、途中で絶望するかもしれません。

 

思えば、人生を送る今の私たちの日々の生活のようです。いつの間にか私たちは川に飛び込んで日々泳ぎ続けているのかもしれません。いまは新型コロナウィルス禍のために、辛く苦しい難所です。いつかはウィルスを滅して日常が戻ることを想像して、手指を消毒し、他人と距離を取り、不安を抑えながら生きていますが、なかなか日常は戻る気配がありません。

 

ペストが終わったらこうしよう、ペストが終わったらああしようなんて・・・。彼らは自分でわざわざ生活を暗くしているんですよ。

 

アルベール・カミュの『ペスト』の一節です。『ペスト』は新型コロナ・ウィルス感染症による経済的影響や社会的影響のひとつとして再び関心が高まった、フランスの植民地であったアルジェリア地中海沿いの街でペストが大流行して、街が封鎖されてしまうフィクションです。恐怖に支配された街の中で、ペスト流行に神を結びつけて人々を扇動する教会を信用せずに、医師と他所からきた若者が葛藤のなかで人間らしさを見出していきます。

 

ペストが猛威を振るう中、主人公の医師は以下のように告白します。

 

とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれない方がいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで。

 

生きるとか死ぬとか、自分では決めることができない行く末を神に委ねても心は安らかにならず、目の前のことに一心不乱に取り組み続けることが大切だというカミュの主張が顕然しています。

 

彼岸に向かって無我夢中に泳いでいる一瞬一瞬は、疲れながらも泣き笑いしながら歩む人生そのものかもしれません。『ペスト』の一節と同様に、全力で毎日を生ききることこそ、苦(うまくいかないことに思い悩むこと)を避けて少しでも楽に生きる術だと臨済禅では説きます。

 

さて三ヶ月前に次女が一歳五ヶ月になり、いろいろなことを理解できるようになりました。新型コロナ禍で毎朝の検温が小学校から求められ、長女の枕元には脇に入れて検温するタイプの体温計を置いています。ある朝、四時くらいに次女が起き出して、長女の検温用の体温計を寝ている私の耳に鋭く差し込みました。乳幼児用の耳に挿れて検温するタイプだと間違えて、私の検温をしようとしたようです。私はあまりの激痛に飛び起き、耳の奥から血が湧き上がる気配を生まれて初めて感じました。朝になって耳鼻科にいくと鼓膜が大きく破れていると診断され、自粛期間中に通院を余儀なくされました。

 

さらに最近は少しずつ自我が芽生えています。少しずつ日本語を理解し、自分がやりたくないことや都合の悪いことがわかって嫌がる態度を露わにすることが多くなりました。時には、のたうち回り、手がつけられなくなってしまうこともあります。自分の意思を言葉に出して親に伝えることはできないことも原因なのかもしれません。辛抱が必要な日々が続きます。

一週間ほど前、体力がついてなかなか寝付かない次女がようやく寝て、調べ物をしようとインターネットを開くと、十二人家族を取材したニュースの動画紹介が目にとまりました。「特技は妊娠、趣味は子育て」と言い切る素敵なお母様が、

 

子供が産まれたら「今が一番幸せね」と周りから声を掛けられ、子供が大きくなると「今が一番幸せね」と声を掛けられます。私は長子が産まれてから三十五年間ずっと「今が一番幸せ」です。

 

と言われて、みずみずしい心地がしました。

辛いし、疲れるし、鼓膜が破れて痛い毎日が続いていますが、何年後か思い出すことができたとしたら、かけがえのない日々だったと思い返すことでしょう。女性の気づきのように、自分の毎日を色鮮やかで味わい深いものにできたらと思いました。

 

思えば、彼岸に至るまでの道のりは修行ですから厳しく辛いもののように思います。けれども人生が彼岸に至る修行そのものだと捉えると、少し見方は変わってまいります。ひとりで黙々と彼岸を目指すのではなく、皆で生命を次に繋いでいくために、支え合い繋がりの中で一歩一歩、泣き笑いしながら彼岸を目指すのだと思えば、子育てで慌ただしい毎日も味わい深くなり、秋彼岸を迎えて墓前に掌を合わせる心も感謝で溢れてくると思います。

ページの先頭へ