東京禅センター

解脱

 東京のお盆は七月に執り行われ、それ以外の地域は八月に行われることが一般的です。

 ズレがあることには諸説あるそうですが、一般的なものをご紹介します。

 明治六年に旧暦から新暦に変わり、約一ヶ月早く年中行事がおこなわれる運びになりました。しかしお盆を一ヶ月早めると稲作の地域では繁忙期にあたり実現できませんでした。農業をおこなわない東京だけが一ヶ月早めたという説です。

 八月に入り、土地勘のない千葉市県内で棚経に回っていました。この細い道は自動車で通れるだろうか?家の近くに駐車できるところはあるだろうか?スケジュール通りに何軒ものお家で棚経に回ることにとても重圧を感じていました。

 最後のお家を辞したあと、カーナビを見ると九十九里浜まで数キロの地点にいることに気がつきました。棚経の行程も終わったし、普段海を見ることもないし、少しくらい羽を伸ばしても良いだろうと思い九十九里浜沿いに寺に帰ろうと思いました。延々と続く九十九里の海岸線を走っていると「海が見える露天風呂」という看板が見え、思わず入場し露天風呂で脚を延ばしました。運転席で渋滞に怯え窮屈な思いをしていた身体を、露天風呂で思い切り伸ばすと身体も心もほぐれてきた気がしました。心がほぐれるとはどういったことであろうかと考えました。

 なぜオドオドしながら棚経を回っていたのだろうか。遅れてはいけない、ミスをしてはならない、そうしたルールを自ら決めて自らの心を縛っていたことに気づきました。きっと無理なスケジュールを渡されたわけではないし、渋滞で遅れたとしても電話で謝れば良かったのです。露天風呂で、海に白波が立つのを眺めながら、自分で決めた時間軸やルールみたいなものに気づき、それが崩れました。温泉に入ると身も心もほぐれますねと良く聞きます。ほぐれるとは「解」と書きますが、もともと自らの中にあるものに気づくことだと実感しました。

 

 さて仏教では「解脱」という言葉があります。「解脱」とは苦しみから解かれ、のがれ出ること、煩悩や束縛を離れて精神が自由になること、迷いを離れることを意味します。

『法句経』という仏典に、以下の文章があります。

 

前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

 

過ぎ去った過去や、まだ訪れぬ未来、今思うことさえも離れることができれば、それを解脱と呼んで、生きていく老いていくことなど人生の全てに迷うことがなくなると説きます。

 解脱とはさとりという言葉に置き換えることができます。臨済禅は修行道場を設けて、坐禅に励み作務や日常生活を通して、解脱・さとりに達しようという宗派です。多年にわたり修行を修められた僧侶しか達することのできない解脱・さとりの境地もあると思います。けれど、臨済禅をはじめ大乗仏教は、そんな一握りのひとのためのものだけではありません。妙心寺派では、解脱・さとりを優しい言葉にして生活信条として、檀信徒の皆様と共に歩んでおります。

  妙心寺派生活信条 一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう

普段の生活に埋没するのではなくて、意識して生活から離れて身体の中に心をしっかりと留め、迷いから離れる努力をしましょう。
  妙心寺派生活信条 人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう

いつもはあちらこちらに飛んでいって迷いに染まる心が、自らの身体に留まって大きな気づきを得ることがあります。自ら決めたルールや時間軸は崩れ去り、当たり前のように時は移ろいゆくこと(諸行無常)や自分ひとりの力で生きているのではなくご縁によって生かされていること(諸法無我)などに気づくことができます。

  妙心寺派生活信条 生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう

自然と迷いを離れ、自らの中にある真理に気づくことができ、日々の生活が変わってくると説きます。

 

 私には七歳の長女と七ヶ月の次女がいます。七ヶ月の娘は離乳食がはじまり、食欲が高まっています。家族で食事をしていると、私にも何か食べさせてと主張するようになりました。普段と変わらない夕食を摂っているとき、次女が欲しがるので、抱きかかえて膝に乗せ野菜が練り込んである煎餅を食べさせようと思いました。ふと家内が、今日買ってきたウエハースを初めて食べさせてみようと言い出しました。口に含んでふやかして粉まみれになりながら一生懸命食べている娘を愛おしく眺めていると、眠くなってウエハースだらけの手で顔をかきむしり始めました。そう思っていたのもつかの間、顔がみるみる赤くなりました。あせもができやすく皮膚が弱いと思うことがあったので、慌ててかきむしる手を抑えていました。四〜五分経つと大きな湿疹が出来始めました。普通ではないと感じて、病院に行こうと直感で思いました。今まで食べさせていたせんべいは米でできていましたが、ウエハースは小麦粉でできていました。父が粉山椒を吸い込んで、メガネが持ち上がるほど顔がパンパンに腫れて病院に駆け込み、急性のアレルギー症状ですと診断されたことが思い浮かびました。家内に慌てて話し、家族で病院の救急外来に向かいました。車の中や病院の受付をしながら不安ばかりが頭に浮かびます。もし小麦粉アレルギーになったらどうしようか、このまま発作が起きたらどうしようか。藁にもすがるような気持ちで診察室の前で待っていました。次女を抱きしめて、ごめんねごめんねとつぶやく家内も同じ気持ちだったと思います。

 ようやく診察室に呼ばれて、診察を受けると、だんだんと顔の表面の凹凸がおさまってきたことに気づきました。更に時間が経つと赤みも引き始めました。診察の結果は、体調不良の状態で初めての食材を与えられたので、軽いショックを起こしたのではないかということでした。また元気な時に小麦粉の食材に挑戦してください、きっと大丈夫ですよとご助言いただき、こわばっていた身体も心も解れて、家族みんなでよかったよかったと言い合ったとき、ふと思い出したことがありました。

 私が四歳のとき、生後三ヶ月の弟が夜に意識不明になりました。両親は寺の中を走り回り、父親は私を叩き起こして、お寺の門を開けてこいと怒鳴りつけました。玄関にある大人用の雪駄を履いて、一心不乱に真っ暗な境内を走って山門まで行き、力を込めて山門を開けると、門前の居酒屋からたくさんの酔っ払ったお客さんが出てきて怖くて走って逃げ帰ったことを思い出しました。自分の小さなときに私の両親も同じような経験をして同じような気持ちになったのだなと思いました。人気のない調剤薬局で、七歳の長女の手を握り待っているとさらに気づきました。人生はこういう風に流れていくのだなということを頭だけではなく身体全体で気づくことができました。自分が決めたルールや時間軸を忘れ、自らのなかにある連綿と続く生命の時間軸や、自分はどうなっても良いからこの子だけは守りたいのだという誰しもがもつ温かい親心で生命が繋がってきたことに今更ながらに気づきました。

 

 生活していると、自分で時間軸を決めてルールを決めて、結果的に身体も心も縛ってしまい、迷い苦しみを抱いて生きてしまいがちです。しかし、その自ら決めた時間軸やルールから抜け出せたとき(解脱できたとき)、連綿と流れる途方もない時の移ろい(諸行無常)や、自分はどうなっても良いからこの子だけは守りたいのだという誰もが身につけている温かい心に気づくことができます。

ぜひ、臨済禅の温かい教えに親しんでいただけたらと存じます。

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