東京禅センター

「人生という旅路」

 東京。この地は私にとって非常に思い出深い土地です。

 というのは、私は愛知生まれ愛知育ちなのですが、大学の4年間だけは東京で下宿生活をしていたからです。私は19歳で大学に入学しましたから、子どもから大人になる過程において大切な時期を東京で過ごしたわけです。今にも増して未熟だった私は、生まれ育った愛知から離れ見知らぬ土地にやってきて、一抹の寂しさや人間関係での悩み、そして自分の将来への漠たる不安を抱えたものです。

 

 結局のところ、何とか4年を過ごし、卒業後すぐに愛知に戻りました。ほどなくして、修行僧として名古屋の道場に入門したのです。愛知から東京へ出て、子どもから大人への過渡期を過ごす。そして成人を迎えたかと思えばそれもつかの間、すぐに地元に戻って修行生活に移り、めくるめく日々を過ごしていました。

 

 禅の修行僧のことを「雲水(うんすい)」と呼びますが、これは「行雲流水」という禅の言葉に由来します。流れる水や行く雲のようにひとところにとどまらず、執着を離れた境涯のことを言うのですが、まさにそのような在り方を体現している、あるいはそこを理想の境地として精進し続けるため、修行僧のことを「雲水」と呼び慣わすわけです。

 しかし考えてみれば、修行僧のみならず、私たちの日々の営みそのものも、ひとところにとどまることもなく常に変化をし続ける、言わば旅のようなものでしょう。

 

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人なり。

船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす

 

とは、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が、自身の旅の行程や体験を記した『おくのほそ道』という作品の序文に出てくる文言ですが、まさに私たちは雲のように水のように、決してとどまることなく旅路に生き、そしてその道中に息を引き取ってゆくのだと思います。

 私はこのように生涯を旅だと捉え、雲や水のように一所にとどまらない、ということを人生訓にしています。それはなぜかと言えば、一定の場所に固執することで息苦しさを覚えた経験があるからです。

 

 冒頭に大学のために東京に出てきた、と書きましたが、実のところこれは私の人生の中で想定外の出来事でした。高校の頃私は、地元に残るために名古屋の大学を目指して勉強をしていました。しかし、結果は不合格。ですから、失礼を承知でありていに言えば、当時は望んでもいなかった場所に行くことを余儀なくされたのです。東京に行くと決まった時は、心の底から不安で、不満でした。なぜかと言えば、小さなころから住み慣れた居心地よい土地を離れ、別天地に独り赴くことがたまらなく怖かったからです。

 ところが引っ越しを済ませ、1か月、2か月、3か月…と日がかさむごとに、不思議な変化が起きてきます。大学の中には友人も増え、アルバイト先も決まり、勉強や学外活動も思っていた以上に面白い。「住めば都」とはまさにこのことで、次第に東京の方が居心地よくなっている自分に気がつきます。

 そうなりますと、4年後に修行道場に入るために愛知に戻るときにはどうなっていたか。今度は、愛知に戻ることへ強い不安と不満を覚えていたのです。そして修行道場では、恥ずかしいことに「雲水」という立場でありながら、その実は全く行雲流水の境地を体現できていませんでした。楽しい思い出だけを思い返してはその心地よさにすがりつき、そして「辛い修行生活」という現実との板挟みに息苦しさを感じていたのでした。

 

 このことを踏まえて私が学んだことは、「住めば都」と感じた後が大切である、ということです。どういうことかと言えば、私たちは「都」、つまり自分にとって居心地のよいすみかを見つけると、どうしてもそこにずっと居たいという欲に駆られがちです。しかし、旅の道中に見える景色が変わるがごとく流転する人生において、一所にとどまることがままならないこともあるでしょう。すると理想と現実との隔たりを自ら作り出し、無いものねだりの息苦しさに見舞われることになりかねません。

 

 無論、それは場所に限ったことではなく、私たちは「あの頃は良かった」「今はもっとこうあればよいのに」と、頭の中にしかない自分なりの理想郷にしがみついてしまうことが往々にしてあります。

 もちろん過去を捨てることはできませんし、その必要もないと思いますが、肝要なのはその「都」に固執しないことではないでしょうか。ときには居心地の良い都を離れ、芭蕉の言うように旅をすみかとしてたださらさらと流れてゆく―そのようなとらわれのない心持ちで、日々ゆったりと人生という名の旅路を歩んでいきたいものです。

林昌寺副住職・野田晋明

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