法話の窓

般若心経の思い出

 お盆を迎えるこの時期、多くの寺院では、檀家さんを一軒ずつ訪問し先祖供養の読経をする「(たな)(ぎょう)」という行事が行われます。

 お寺で生まれた私は幼稚園の頃に、当時住職であった祖父に就いて出家(しゅっけ)得度(とくど)し、一緒に棚経に回るようになりました。幼い頃は回る家々で、お経の後にジュースやお菓子を出していただくことが嬉しかったものです。ところが、一人で回るようになり、年齢が上がるにつれて、友だちと遊ぶ時間が少なくなることに嫌気がさすようになってきました。

 その後、花園大学仏教学科に進学した私は衝撃的なことを知ることになります。私と同じようにお寺で生まれた友だちに聞くと、通常棚経では『(かい)甘露門(かんろもん)』というお経と『先祖(せんぞ)回向(えこう)』を読んで終わるとのこと。かかる時間は一軒五分程度でしょうか。それに比べてウチは、『般若心経』から始まり、いくつかのお経を読むため、十五分くらいはかかります。(もちろんお寺によって読むお経は違いますが…。)

 真夏の暑い中、棚経を一刻も早く終わらせたい私は、その年の夏、住職である父に申し出ました。「なんでウチのお寺ではこんなにたくさんお経を読むのか?」「時間がかかってしょうがない」「もっと短くしてもいいじゃないか」等々。

 その時の父の答えは、「昔からウチの檀家さんは般若心経を上手に読める。だから一緒にお経を読むことが有難い。今のままでやるんだ」というもの。しかし、当時の私はその答えでは納得できませんでした。そのため、棚経の時期が来るたびに、何とか時間を短縮できないものか考えるようになったのです。

昨年の夏のことです。私は「お経を短くできないなら、せめてお茶を出していただく時間をカットして、少しでも早く回れないだろうか」と思いつきました。ただ、せっかくのご厚意を無碍(むげ)にするのは申し訳ないという気持ちもあり、供養の勧めとして、檀家さんに配る「棚経案内」に次のように書きました。

 「お茶の用意は結構です。それ(・・)より(・・)()一緒(・・)()座って(・・・)()()合わせて(・・・・)ください(・・・・)

 そして、いざ棚経に回るとどうでしょう。ほとんどの家で、皆さんが座って手を合わせるだけでなく、一緒に般若心経を読んでくださるのです。その様子をみて「檀家さんが一緒にお経を読むことが有難い」と言った父の気持ちが本当によく分かりました。そう思えた時、棚経の時間短縮を望むことなど、もはやどうでもよくなりました。

 「少水の魚に楽しみ有り」。

 少ない水の中で生きる魚は、何を思うのでしょうか。その魚は、与えられた環境の中で、ただ淡々と生きるだけ。その場の状況を受け入れて精一杯生きる。そこに真実の姿(楽しみ)があると微妙大師は教えておられます。

 棚経に時間がかかることに不満を抱いていた私ですが、父のやり方を変えずにやってきて良かったと今では思っています。学生時代には理解できなかった真実の姿(楽しみ)がそこにあったのです。そう気づかせていただいたのは、一心に般若心経を唱えてくださる檀家さんのおかげであり、その姿に救われたような思いがいたします。

 人生の中で何か不都合に感じる出来事があっても、受け止め方次第で生き方が大きく変わります。少水の中で生きる私たちですが、微妙大師の教えによって、楽しみという名の「心の安らぎ」を見出してまいりましょう。

岩浅慎龍

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