法話の窓

生きるご縁

 日ごと秋の気配も深まり、朝夕だんだん涼しくなります。日差しも和らぎ優しく降りそそぎ、今年も秋彼岸の季節が訪れます。

 

 私は「一期一會(いちごいちえ)」という音楽法話グループに所属し、十二年間布教活動に携わってまいりました。臨済宗妙心寺派僧侶五人で結成され、全国各地でコンサートを開催し、御詠歌の魅力や、禅の教えを微力ながら布教させていただきました。

 

 東日本大震災から約一年後のことです。陸前高田でのコンサート依頼が舞い込みました。メンバーは前日、最寄り駅に集合し、レンタカーでの移動中の出来事です。高田松原辺りに差しかかった時、私たちの目の前に突然「奇跡の一本松」が現れたのです。七万本以上あった松の木が、津波ですべて流されてしまいました。そんななか、たった一本だけ生き残った松の木です。寂しそうなお姿でポツンと一人ぼっち。葉は津波によりすべて失われ、枯れ果てています。しかし、何か私たちに話しかけているようでした。「あえてこの場所に生かされている」そんなお姿だったのです。

 

 その後、会場にたどり着きコンサート開始。日本の唱歌・花園流御詠歌など法話を交え、約七十分間のコンサートは無事終了。演奏後、一人のご年配の男性が私に近づき、優しい口調で静かに語りかけてきました。「船で海に出た私の家族は、まだ帰ってきません。私のような年老いた老人にも、生きるご縁があったんでしょうね・・・」それはまるで津波を耐え抜いた一本松のようでした。壮絶な悲しみ・苦しみを経験し、家族と別れ、たった一人になったそのお姿は、今でも私の胸に焼き付いています。陸前高田コンサートでお唱えした彼岸会御和讃・御詠歌の一節をご紹介します。

 

     彼岸会御和讃

  「暑さ寒さも 過ぎゆけば 

    影も光も  和むなり

    辛き浮世(うきよ)も 耐えゆかば

    よろこび生くる 日は近し」

  

 自分に残された時間を見つめた時、人は(おの)ずから「生きるご縁」に気付くのです。人生のなかで、苦しみ・悲しみを経験することは、避けることができません。そんな辛き浮世こそ「少水の魚」なのです。私たちが、いま ここにある命を、あるがままに受け止めることで、よろこび生くる日「楽しみ有り」が近づいてくるのです。彼岸とは、生きるご縁に気付くことなのです。

 

     彼岸会御詠歌

  「いざ行かん 行きて彼岸の花を見ん

    生死(まよい)の海は 波あらくとも」

 

 生死(まよい)の海とは私たちが経験した悩み・苦しみです。諦めてしまいそうな辛い経験を耐え抜いたからこそ、人は本当の幸せに気づくのです。今年も変わらず咲く、あの美しい彼岸花のように。                

合掌

水野宏泰

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