体験

令和4年度「私の大切な一曲」

~無相教会準師範の先生が特に大切にされている御詠歌を一曲挙げ、その曲とのエピソード、好きな箇所、お唱えするときの気持ちなどを紹介いただいたコラムです~


「般若心経御和讃」

今城 松枝

「般若心経」は私達にとって「要」ともいうべき大切なお経です。そのお経を御詠歌でお唱えいたします。つらい時、悲しい時、楽しい時、この御詠歌を心を込めてお唱えいたします。心の中が整理され今までにない思いや考えを持つことができます。冒頭の「ド」の音で三拍「か」「ん」「じ」と真っすぐに唱え、次第に半音で上ってゆくこのフレーズが私は大好きです。一番から六番までしみじみとお唱えしてみましょう。

み仏の教えと共にある!という思いが湧いてまいります。私の好きな一曲「般若心経和讃」

 


「追善御和讃」

津田 玲子

私が御詠歌とご縁をいただいたのは義母が亡くなり、その跡を引き継いだことからです。初めてのお稽古の曲は追善御和讃でした。先輩方が義母の為にとお唱えしてくださったのを聞いて涙したことを鮮明に覚えています。

全体的に口はあまりはっきり開けず、静かに発音する様にと教えていただきました。御和讃の最後の「生死(しょうじ)を…」の一節、また御詠歌のことばはとても有難く、お唱えする時は大切だった肉親やご縁者の面影を胸に思い、「安かれと」とお祈りする気持ちでいます。私にとって大切な一曲です。

 


「宗門安心章御和讃」

永井 和子

 私は『宗門安心章御和讃』がとても好きです。

「人と生れて法に遇う」、この一節は生まれた事への感謝を感じるとともに、人として生きるための根本だと思います。

 ご詠歌を習い始めた頃、雨の中、お墓の草を泣きながら毟ったあの日も宗門安心章をお唱えしていました。

 今も常にお唱えしていますが、この先も初心を忘れずにさらに心で温めて、聞く人の心に届くように努力をしていきます。

 


 

「目連尊者御和讃」

二宮 妙子

 今から二十四年前に受験した本山試験の課題曲でもあった『目連尊者御和讃』です。この曲は、私自身あまり稽古する機会がなく、馴染みがなかった曲でした。しかし何度も稽古する内に「ほろほろ」で始まり、「父かと思う母かと思う」で終るこの歌詞は、亡くなった父母を思う切々たる想いが胸にせまり、仏さまの導きで開悟し、合掌礼拝の想いに到る素晴らしい御詠歌と感じられるようになりました。

今では私の御詠歌に対する気持ちの転機となった大切な一曲となっています。

 


「妙心寺中興開山日峰禅師御和讃」

勝野 正子

 龍津寺の諸堂は江戸時代の建造。縁あって、本堂再建の話が持ち上がりました。嬉しいこととはいえ、当時の兼務住職さまや僅かな檀家さんにご負担をお掛けすることに悩みました。ちょうどその頃、日峰禅師さまの行履(あんり)、大平端山(おおひらたんざん)師のご生涯をお聞きし、歴代祖師の想いを知ることで、気持ちが安定したことを覚えています。

 今、新本堂は老若男女で賑やかです。多くの御縁に感謝しつつ、知らず知らず御詠歌を口ずさみ、際限(さいげん)なく続く境内の草引きに努めています。

 


「三宝恭敬御和讃」

東海 裕子

 ご縁をいただき、自坊の落慶を含めた三ヶ寺の落慶式、晋山式で「三宝恭敬御和讃」をお唱えさせていただきました。立詠で歩きながらの練習等はたいへんでしたが、無事円成後、会員さんの中に感激して涙されていた姿があったことが思いだされます。
 「生くるいのちぞ尊かりける」は、私の好きな一節です。生かされている事に感謝をし、悔いのない人生が送れる事を念じながらお唱えをしています。
御詠歌とのご縁に感謝し、生きる姿勢を正しながら、みなさんと共に精進していきたいと思います。

 


「宗門安心章御和讃」

畠中 八代江

 毎日和尚の見舞いのための車の中で、宗門安心章御和讃を唱えながら舞鶴港を横目に一時間以上かけて通いました。

 和尚はこの和讃について、安心(あんしん)とは、ひとときの心の安らぎである。安心(あんじん)とは、永久に続く心の平安で、この事を得られることが御詠歌の功徳の証しであり、自己の修行であると教えていただきました。

 病室で和尚の顔を見たり、手足を摩り、手を握ったりするこの安心をいつまでも感じ長生きしてほしいと祈りながら、毎日通いました。

 ある日、「何もしてあげられない私で辛いです」と看護師さんに相談すると、「貴方がされている事は、まさに『手あて』であり、治療の一部で大切な事ですよ」と言っていただき、安心章そのものかも知れないと感じて、病院の帰り道に口ずさみました。涙で前が見えにくくなると休憩所で少し休みながら帰る日々でした。

 また、私の昇進試験の課題曲が、この和讃で、偶然にも和尚の誕生日でありました。縁を感じ、心強く感謝いたしました。

 「報恩謝徳とはげむべし」

 これからも大切に唱えていきたいです。

 


 

「生活信条御和讃」

村井 俊章

お寺で生まれ育った私は、師の指導によるお稽古や毎歳行事等で御詠歌の響きにふれていました。お稽古日に学校から帰ってくると、講員さんが一斉に「おかえり!」と声をかけて下さり、私は「ただいま!」と大きな声で返していました。たった一瞬ですが、その挨拶が私を楽しく、気持ちよく、そして心を嬉しくさせてくれました。

生活信条御和讃二番に「我人ともにへだてなく仏の生命受くる身ぞ…」自他を分けることなく、一つの挨拶から生まれ出る一瞬の心通わす清らかな場面に、私自身の生活は支えられてきているように思います。

この御詠歌の作詞は、私の伯父にあたります和久弘昭師です。亡き伯父が遺してくれた言葉と感じながら、日々の生活で忘れかけそうになる感謝の心を思い出させてくれる一曲でもあります。

「大いなる 恵の中ぞ 悦びは 尽きずただただ 掌を合わすかな」広く大きく心を開いて見つめれば、私たちは、この地球上の大自然そのものに生かされていることに気がつきます。講員さんとのお稽古は、生活信条御和讃をお唱えしてから、お稽古に入るのです。

 


「追善御和讃」

                   安藤 宗明

 私にとって忘れられない曲は「追善御和讃」です。父が脳溢血で倒れ、駆けつけた病院で父を看取り、気がつけば心の中で何度も何度もお唱えしていました。いまでもこの曲をお唱えするたびそのときのことを思い出します。まさしくあの時は「生命(いのち)とどむるすべもなし せめてよみじに幸あれと」と願ったものでした。この曲の好きなところは、和讃から詠歌に入り最後に希望を感じさせる歌詞と曲想です。大切にお唱えをして参りたいです。

 


 

「釈迦如来御誕生御和讃」

                   今井 千尋

 35年前の4月にお寺に嫁ぎ、5月8日の花まつりに「釈迦如来御誕生御和讃」を、初めて会員さんが唱えられるのを聞きました。花まつりは檀信徒の皆さまとともに餅まきをして盛大に執り行います。20年くらい前から花まつり茶会も開催し、御釈迦さまの誕生をお祝いし、そこに釈迦如来御誕生の御詠歌が花を添えています。

またお寺では4月初旬の桜を始めに、しだれ桜→山茱萸(さんしゅゆ)→木蘭(もくれん)の白と赤→5月には白萩→6月には夏椿と紫陽花が順番に咲き、きれいな花を愛でることができます。

 


「慶祝御和讃」        

 醍醐 千草

おめでたい儀式にお唱えする数少ない御詠歌として長年練習してきましたが、今年4月当山の晋山式で奉詠した時、心の底から歌詞の全てを実感いたしました。ツツジの花が満開の中、晴れ着姿の新住職と稚児行列、角塔婆と本堂を繋ぐ五色のリボン、それらを見守る檀家様の笑顔、笑顔。「手を取り合いて弥栄を」の部分は、息が苦しく3拍声を伸ばせない事も多いが、この時は皆の声がよく伸び、心が一つになった素晴らしいお唱えでした。儀式の中で立派に役目を果たす素晴らしい奉詠となりました。

 


「観音御和讃」

清水 壽晴

 晋山式の稚児行列の際、録音テープと共にお唱え頂いた曲です。式の前夜に加擔をお願いしていた和尚様2人が事故で緊急入院をされ、真夜中に病院に行くと、1人は意識不明の重体となっていました。翌日の式典は粛々と進んでいったのですが、2人のことで頭はいっぱいでした。

そんな時、観音御和讃の「七難三毒みな滅し」という一節が耳に入ります。我に返り「念彼観音力」と何度も何度も念じているうちに、晋山式が終了しました。すぐに病院へ行くと事故にあった和尚さんは2人とも意識が戻っていました。

 観音様の御利益、御詠歌のありがたさをあらためて体感した瞬間でした。

 


「花園会御和讃」

鈴木 明美

「花園会御和讃」は二部合唱としてもお唱えすることができ、親しみやすく、唱えやすい曲です。以前行われた、「Let’s GO 詠歌」に会員さんと共に参加してお唱えしたこともある、最も慣れ親しんでいる曲です。自坊の女性部新年会では、必ずお唱えする曲となっていて、特に「涅槃(さとり)のみちをしめします」の高音部を声高らかにお唱えする部分が、すばらしいと思います。

今、世界で争いや大きな災害が起きていますが、世の人々の幸せを願い、心をこめて声高らかにお唱えしましょう。

 


 

「宗門安心章御和讃」

惠良 真由美

「チリーン、チリーン」新緑美しい季節でした。清らかな鈴の音と、奥ゆかしい声の調和が響く部内寺庭婦人会勉強会での一幕を今でも思い出します。お寺に嫁いで間もない私は、「人と生まれて法に遇う~♪」宗門安心章御和讃を初めて拝聴させていただきました。慎み深い低音から始まる調べに緊褌(きんこん)一番の思いが致しました。この仏縁、法縁を胸に報恩謝徳と心得て生活して行くことの大切さを説いていただいた一曲です。

 


「花園太上法皇第三番の御詠歌」

正山 照子

子どもの頃、舌を切る大けがをしました。診断は「一生歌えません」。歌は今でも私のトラウマです。でも、御詠歌が大好きでボイストレーニングをしながらがんばりましたが、そのことで批判されることや、また他にもいろいろあり…。すっかり落ち込んで、御詠歌をやめる決心をした時に玉鳳院でお唱えしたのがこの曲です。「これが最後」と心を込めて全身全霊でお唱えしました。

 その後、ご縁があって準師範になりました。花園法皇さまが「もう少し続けなさい」と後押しをしてくださったのだと思います。

今後も精進して、私のように「声」に悩む人のお役に立ちたいと考えております。

 


 

「観音御和讃」

後藤 千衣美

 御詠歌を始めて日も浅い頃、観音和讃の「大慈大悲の手を垂れて」の詞と旋律に衝撃を受けたのを覚えています。以後頭の中を離れず、気づけばいつも声に出していました。この和讃が唱えられるようになったと、ただ喜んでいました。ところがその後多くの大先生にこの和讃を学ぶ時、声の表現や音のふくらみなど勉強する事など教えられ旋律が出来るようになっただけの自分は、まだ入り口だと思い知らされました。

 御詠歌は教えや気持ちの詞をふさわしく声に表現していかなくてはいけないものと知った最初の曲がこの観音和讃でした。この和讃を唱える度に原点に戻れる気がしてずっと大切な一曲となっています。

 


「妙心寺開山忌御和讃」

都竹 隆雄

私の大切な一曲は「妙心寺開山忌御和讃」です。

今から約三十年前、当時大学生だった私が御詠歌に初めて触れ、その年の全国奉詠大会に学生で組織される御詠歌会である天籟会(てんらいかい)としてデビューした曲だからです。大会前日に深夜まで練習したことは今でも忘れることが出来ませんし、当時必死に覚えた「陽」の節回しを、大会後に楽譜の見直しがあり「陰」の節回しに覚え直したのも今では良い思い出です。

「心の花の園に」という箇所は巻き鈴も入り、一番の盛り上がりどころですが、優しく「園に」と気持ちを切り替えていくところを開山さまの御徳に対する感謝の思いでお唱えさせていただいております。

 


「釈迦如来御詠歌」   

吉田 拙堂

 新曲「釈迦如来御詠歌」を取り上げたいと思います。詠歌和讃を一同が心を一つにして唱える目的は何か。その答えを明確に表現している御詠歌だと思います。中盤に登場する歌詞、「こころなごめり・こころなごめり」は和して芳し、法悦歓喜した魂の叫びです。そして、後半部分に「南無や大聖・南無や大聖」は私にはその喜びに泣いているように聞こえます。素晴らしい構成の御詠歌だと思います。曲の速さにとらわれることなく、より気持ちを込めて唱える御詠歌でしょう。

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