法話の窓

「―足下に咲くタンポポのように―」

 桜の季節が終わり、初夏の爽やかな季節を迎えて、さまざまな花々が咲き誇っています。

私が住んでいるところでも、シャクヤクやサツキなどが次々に咲き、いたるところでたくさんの花々を楽しむことができます。

 そんな素敵な環境で育ちながら、私は高校生の頃までは身近に咲いている花には全く興味がありませんでした。そして、あるとき平凡な田舎町で生活していることに飽き飽きとしている自分に気付きました。それからというもの、旅番組を見ればテレビに映る知らない土地の美しい景色に心奪われ、「全国にはこの田舎町にはない素晴らしい景色があるのだ。大学生になったら全国を旅してまだ見たことのない素晴らしい景色をこの目で見てこよう。」という思いが日に日に強くなっていきました。

 大学に進んでからもその思いは変わらず、旅に出ることを目標に、勉強はせずにアルバイトに精をだして、コツコツと旅の準備を進めました。

 大学生の夏休みや春休みは長いので、その休みを利用して一カ月以上、時には二カ月近くかけて一人旅に出ました。テントや寝袋を担いでの貧乏旅です。

 いざ旅に出てみると、それまで見たことのない景色やその土地に伝わる食べ物、その土地に暮らしている人々の営み、全てが新鮮に感じて、すっかり旅の魅力に取りつかれました。

 ひとつの旅が終われば「次はどこへ行こうか。あの島もいいな。あの海もこの目で見てみたい・・・」。そう思いを膨らませて、またアルバイトに明け暮れる日々。そんな大学生活を四年間送り、おかげさまで日本全国ほとんどの地域を旅することができました。

 大学卒業後は修行道場に入門して四年間修行させていただきました。修行から自坊に帰ってくると、またあの平凡な田舎町の暮らしが始まり、ふつふつと旅に出たい気持ちが湧いてきたのです。悶々とした日々を過ごしていたある日の陽が傾いた夕方のこと、外での作業を終えようとしていると春の心地のよい一陣の風が頬を撫でていきました。

 辺りを見渡せば山は芽吹き、足下にはタンポポが咲いていました。耳を澄ませばあちこちで鳥が啼いていて、風がそよぐ音が聞こえてきます。お墓参りに来られた檀家さんが「修行から帰ってきたんだね」と声をかけてくれました。

 そのとき、私が求めていた素晴らしい景色や旅先での人情、そこに暮らす人々の営みというのは、ほかの場所ではなくここにあったのだと気付かされたのです。なにも旅に出なくても素晴らしいものがここにあると気付いた時、足下に咲いているタンポポのように、この地に根を下ろしていこうという覚悟ができたのです。

 『仏道無上誓願成』の「成」には、「すでにある、備わっている」という意味があります。私たちはついつい外へ外へと幸せを求めてしまいがちですが、足下をしっかりと見つめ直してみれば、自分がすでに幸せのまっただ中にいることに気付くことができるでしょう。そうすれば一日一日を新たにていねいに「おかげさま」の心をもって生活をすることができるのではないでしょうか。

織田宗泰

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