法話の窓

「高齢者になってみたら大変」

 新緑目に鮮やかで草の匂いが香り、心地よい薫風が吹いてくる好時節となりました。
 素晴らしい季節となりましたが、私は、年を取って、体の彼方此方からガタが聞こえてくる高齢者となりました。皆様と同じく若い頃は、年寄りなんて他人事と馬鹿にしていましたが、さて自分が高齢者となってみるとつくづく老いを感じる此の頃です。

 

 お釈迦様は八十歳で入滅なさいましたが、クシナガラで涅槃に入ろうと旅を続けておられる時に、喉が渇いてもご自身が川まで行けない程に老いておられました。やはり、お釈迦様もお年をお取りになったのです。
 中国の漢詩に「少年老い易く学成り難し」とありますが、老人となって初めて、なにも成していない事に愕然とします。
 しかし、年を取らないとわからないこともあります。本当に人間は、病気でも怪我でも災害もその時にならないと本人が心から認識しないものです。
 体の何処か痛くてたまらない、思うように動かない、若い時には想像もしなかった身体の老いです。老いた時に体も心も固くなる人と、体は老人だけどでも心は、柔らかい人がいます。
 不思議なことに老人になると、個人差が大変開きます。同じ年齢なのに体も心も人によってかなり違います。どうしてでしょうか。体も老い、心も気持ちも頑固になって人の言うことを聞かない人。それに比べ、心爽やかな、年輪を感じる人もいます。自分が老人になって、心が傲慢に独りよがりなっていないか。人の親切な忠告をよく聞けているか。正しく物を見ているかと。自分が自分自身に気づいているでしょうか。

 

 臨済宗の悟りは、気づくことです。自分が自分に気づく。何歳からでも良いから自分の周りに自分以上のもっと大きな存在があって、自分はそれに生かされ、生きている事に気づく。心静かにおかげさまを感じながら感謝や仏心を持って、暮らしたいものです。
 しかし、年齢を重ねたのに仏心に気づかず、気も止めないで現実のお金や物に振り回され、波の様に押し寄せる情報に右往左往しておられる方もおられます。

 

  「人間の寿命は有限です。
   でも、人間の幅を増やすことは無限に可能です。

   有限な人生を無限に生きるためには、人間の幅を広げることです」(鍵山秀三郎)

 

 そしてその窓口は、皆様の菩提寺ですし、本山や菩提寺のご住職なのです。どんな仕事もプロが要る様に信心にもプロがいます。プロのご住職に聞きましょう。スマホやネットでは無く、参拝しお寺で心の幅を広げましょう。
 ご住職は、法事やご葬儀だけで無く、一人でも多くの人に禅を伝えようと日々貴方を待っておられます。
 年を取って、残された時間を思う時、大切な時間を信心に割きたいものです。

 

谷 玄康

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引用
  少年老い易く 学成り難し
    おいやすく がく なりがたし

 中国 宋の時代の詩と言われていますが本当の作者は不明です。

 鍵山秀三郎 イエローハット創業者
  出典『鍵山秀三郎語録』
      寺田一清編 致知出版社
 

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