法話の窓

096 まっすぐに生きる

 中国の古い話に、弓の名人の事が書かれていました。この弓の名人は、矢を射るとどれも命中するというものでした。ある時、猿を射たのですが、猿は木の周りを三回まわって逃げたそうです。するとこの名人の射た矢は、猿を追って木の周りを三回まわって命中したというのです。矢は真っ直ぐに飛ぶものですから、逃げた猿もびっくりした事でしょう。丁度、現代のミサイルのようなもので、どこまでも追っかけて当たるのですからどうにもならなかったのでしょう。

 さて、この矢は真っ直ぐに飛んだのかどうかということなのですが、木の周りを回ったのですから真っ直ぐではないと思うのですが、はやり真っ直ぐに飛んでいるのです。何故ならずっと猿を追っかけているからなのです。この目標・目的に向かって他所へそれないということが真っ直ぐというのですが、多少の回り道や横道であったとしてもずっと目的や目標に向かっている人は、真っ直ぐに生きているということでしょう。そのことが、良い悪いということは別として、目的を持つということは重要なことです。

 高額なお金を払って大学にいっているけれど何々をしたいとか、こういう理由でということが無いままの大学生も多いと思います。目的を達成するための進学でなく、取りあえず社会人になる前の四年間の自由時間的なものとなっているのかも知れません。もちろん、この時間が将来に役立つことも多いと思います。

 以前、こんなことがありました。私の子供がまだ小さい頃に海に魚を釣りに連れて行って欲しいということで、魚を釣りに行ったのですが、釣具屋さんの言葉に二の句が継げなくなりました。「何を釣られるのですか?」と尋ねられるのですが、目的が無いので答えられないのです。何故と思ったのですが、それもそのはず、対象の魚によって仕掛けが全部違ってくるからでした。結局、何でもいいからということで釣り具を揃えてもらったのですが、なるほど、どのような事でも目的がはっきりしなければ、何にしても中途半端で終わってしまうことを痛感しました。

 古来より「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり、一生の計は少壮にあり」とか、長い人生とは言いますが、目的をもって真っ直ぐに歩み続けることが「生きて来た」と言えるものだと思います。

林 学道

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