法話の窓

094 実りある心を

 あなたの人生。たった一度限りの人生。大いに満喫していますか?

 

 子供の頃は、目に映るもの、聞こえるもの、香りのするもの、味わうもの、体験するもの、何でも興味津々。ドキドキワクワクしながら、純粋に一途に取り組んでいた、あなた。それがいつしか成長するにつれて、他人や周囲の環境と自分の現在の境遇との比較に関心事が移り、朝起きてから夜眠りにつくまで、常にあれやこれやと多事考えごとをしながら、日々過ごしていませんか。

 

 では、自分の心を豊かにし自己の人格を高めていくためには、どのようにしたらよいのでしょうか。

ある僧が大珠慧海という中国で高名な禅師に、
「禅師さまが仏さまの教えを修行なされるときに、何かしらの特別な方法は必要ですか?」とお尋ねになられました。
慧海禅師は、
「あります。お腹が空いたらご飯をいただき、身体が疲れたら眠ることです。」とお答えになられました。不思議に思った僧は、
「それでは、世間一般の人々と同じではありませんか?」
すると慧海禅師は、
「同じことではありません。世間一般の人々は、ご飯をいただくときに、他の物事を考えながら食べています。また、眠るときには心から眠ることなく、他のことをあれやこれやと考えてしまっています。ですから、同じことではありません。」とお答えになられました。               『頓悟入道要門論』(意訳)

 

 物事がやってきたならば、それにすぐさま対応し、物事が片付けばそれにとらわれることなどはしない。もっぱら日常の振る舞いに対して、その時々に一心に心を注ぎ、他事に気をとらわれることなく、自然に任せて過ごしたならば、心は必ず充ち満ちたものとなり、実りのあるものとなっていくのです。

 何をするにも一所懸命。朝、目覚めては「今日も頑張るぞ!」と仕事に勉強に家事にと懸命に。ご飯を頂くときには「いただきます!」「ごちそうさま!」と食べることに懸命に。夜、眠りに就くときには「一日お疲れ様!」と寝ることに懸命に。のんびりするときだって、思いっきりのんびり過ごすことに懸命に。もちろん、遊ぶときだってやっぱり懸命に。「一所」「一処」を「一生懸命」に。

 

 前に進めば確かな道が、振り返れば大きな大きな自分の足跡がある。実りある心を育てるのは、あなたのその一途な懸命さなのです。

丸毛俊宏

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