法話の窓

093 誠実に生きる

 「誠実にまされる知恵なし」という言葉があります。誠実に生きることで、私たちはほんとうの幸せを得ることができます。

 たとえば、受けた恩を感謝し、その恩を何かのかたちで返していく努力をするのも誠実な生き方の現れです。このような智慧をいつも大事にしながら生きていくことが必要です。

 人は「していただいた」ときには喜びを感じます。しかし、しばらくするとそのありがたさが半減し、いつしか忘れてしまうものです。あるいは「していただい」たことに気がつかなかったり「していただた」ことを当然なことと思ってしまうことです。このような自分をよく知って、そんな自分にならないように常に気をつけていくことが大切です。「していただいた」ことは、あたりまえのことではなく、ありがたいことです。だから、それに恩返しする。そんな自分をたもっていこうとする、誠実な努力が大切に思います。

 オーストラリア南東部にクトリア州というところがあります。そこの農場主のリチャードさんが今から4年ほど前、強風で折れた木の枝に当たって意識不明になられました。
 このとき放し飼いにしていたカンガルーが、約300メートル離れたリチャードさんの家まで走り、ドアを前足でノックし家族に異常を知らせたあと、リチャードさんの傍らで救助がくるのを待ったということがありました。そのノックの音で家族が気づき、リチャードさんは無事救助されたといいます。

 このカンガルーは10年ほど前、車に引かれて死んだ母親の腹袋でぐったりしていたところを、リチャードさんに助けられ、野生動物局の特別許可で農場で飼われていました。地元のベテラン動物保護観(?)は、
「野性だったら考えられない。子どもから育てられ信頼関係が生まれていたのかもしれない」
と語ったようです。 

 カンガルーの行動は、子どものころ命を助けてもらい、しかも大きくしていただいたことへの恩返しのような気がして、心が温かくなりました。親の恩を忘れたり「していただいた」恩を忘れる人が多くなってきた昨今、このカンガルーの誠実さから教えられることがあります。「していただいた」ことを忘れず、誠実にその恩を返していくということがどんなに美しい生き方かがわかります。
 誠実な生き方が、恩返しのできる思いやり深い自分をつくる。こう教えてくれたカンガルーに、私は仏の姿を見るような思いがするのです。

杉田寛仁

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