法話の窓

076 ありがたさに気付く

 爪切ったゆびが十本ある

 自由律俳句の代表的俳人、尾崎放哉の俳句です。私も週に一度くらいは爪を切ります。しかし放哉のようにしみじみと「あぁ、指が十本あるなぁ」と感嘆の声をもらしたこともありませんし、感激したこともありません。

 しかし、感性の研ぎ澄まされた人は我々とは違います。我々が当たり前と思って眺めている景色にも気付きがあるのです。放哉は爪を切りながら、自分の手をよくよくながめてみたのでしょう。そして「何とこれは素晴らしいことだ」と感激したのです。ゴツゴツとした掌から突き出た指。それぞれ長さが違っていて竹の節目のような関節がある。この関節によって指は自由に動き、茶碗を持ち器用に箸を使って食事をいただくことができる。ペンや筆を持てば字や絵も自由に書ける。「あぁ、何という便利で素晴らしいものを頂戴しているのだろう」という毎日使っている自分の手に対する、ありのままに感じた驚異と感嘆の言葉がこの俳句なのだと思います。 

 私たちは普段当たり前に何事も無く暮らせていることが、実は本当にありがたいことである事に気付いていません。でも皆さんも身に覚えがあるかと思います。私にも経験がありますが、例えば奥歯が一本虫歯になった時、歯が痛いので食欲が出ません。食べるとしても痛い歯の反対側でしか物を噛むことができません。そんな風に食べても食事が美味しくないし食べた気がしません。さらに、よく噛むことなく飲み込むので消化不良になってきます。このような大きな図体をしていても、たった一本の歯が痛いだけでこのように不都合なことになります。そしてようやく気付くのです。今まで意識したことはなかったけれども、歯が健康で何も気にせずに普通に食事が出来ることが実はどんなにかありがたいことであるかを・・・。歯が普段どれほど自分のために働いてくれて、どれほど大事な存在であるかを・・・。


 我々の生活は便利で快適が当たり前になっています。蛇口をひねるといつでも水が出て、ガスコンロのコックをひねればいつでも火がつきます。でもこれだって意識していませんがとてもありがたいことです。尾崎放哉のように当たり前のありがたさに気付き、感謝ができる人になれたならば、自分の周りの物や人をありがたい存在だと大切にする気持ちが自然にわきあがってくると思います。そのような人が増えてくれると、素晴らしい世の中になるのではないでしょうか。

寺町宗峰

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