法話の窓

073 ポケットがいっぱい

 使い古した旅行バッグを、買い換えた。

 10年以上使っただろうか。シンプルで、お気に入りのバッグだったが、重いのが欠点。その上、仕切なんかなくて、ポケットも2つしかついていないから、いつも雑然と本や書類、衣服が同居していて、えらくお行儀が悪かった。旅に出るときばかりではなくて、普段でも書類の多いときなど持ち歩いていたから、ずいぶんと痛んできたのだ。そこで、軽くてポケットがいっぱいあるのに、買い換えたのだ。

 新しいバッグで旅に出た。新幹線に乗って終着駅が近くなったので、座席を立ち、出口へ歩いていく。デッキにはすでに、降りる支度を整えた、ひとりの老人が立っていた。

 白髪で小柄な老人の足元には、ダンボールの箱が置かれている。箱は、人形店の包装紙でおおわれている。お正月の羽子板のようだ。お孫さんへのお年玉にちがいない。

 定刻に到着した列車から降り立つと、女性が老人に走り寄って、話しかけた。

「おとうさん。大きな荷物。送ってくれればいいのに」

 久しぶりの父と娘の再会のようだ。老人も大きな荷物を前もって送ってしまえば、楽なのはわかっている。でも、どうしても孫のお年玉を、自分の手で持ってきたかったのだろう。老人は何も言わず、恥ずかしそうな笑顔で答えるだけ。

 ホームには修学旅行の中学生があふれている。彼らの荷物はいたって少ない。別便で目的地に託送してしまったのだろう。

 大きな荷物を持つ老人と、身軽で旅する中学生。どこか変じゃない。と、思いながら、新しいバックを持って私もまた改札口へ急いだのです。

 さて、ポケットいっぱいの機能満載の新型カバンはというと、これが不便なんだなぁー。いくら、収納場所が増えても、使い手の収容能力はいっしょなのだから、どこへ何をしまったのか忘れてしまう。一昨日も入れたはずの大切な資料がみつからない。あきらめて家へ帰ってよく見てみると、ちゃんとホックのついたコーナーにはさんであった。そんなことが、数回続いて、元の何もないシンプルなカバンに戻ったというわけ。そこで、考えた。人間もバッグと同じではないだろうか。

 あそこにも、行きたい。それも、食べたい、これも、やりたい、と欲張ってみたところところで、人間が持っているポケットは限られている。ならば、自分が好きなことを深くふかく味わって、数すくないポケットに貯めていったほうが豊かになれるのではないだろうか。

 禅には「吾が道は、一を以て、これを貫く」(出典は『論語』巻二里仁篇)という言葉があります。

花岡博芳

ページの先頭へ