法話の窓

072 生かされて生きる ~山も 川も 草も 木も~

 近所に住むSさんは若いころ脳内出血で倒れ半身が不自由だ。毎朝つえを頼りに、私の寺のお地蔵さんにお参りに来る。私もほうきの手を休め、Sさんとベンチに腰掛けて話すのが日課になっている。Sさんはお参りの後「ああ、せいせいした。これで今日も一日安心だよ」と言うのが口癖だ。そして四季折々の景色を眺めながら「ここまで歩いて来れて、こんなにすばらしい景色が見れるだけで幸せだよ。もし、今、元気で忙しく働いているとしたら、お地蔵さんに手を合わせることもなかっただろうし、山の景色が毎日ちがうことや、木の葉や草花が色づいていくことにも、つえの回りに歩き回る、小さな虫にも気づかずにいたと思うよ。負け惜しみでなく、何を見ても「ありがたい」という気持を味わえるのも、病気になったおかげだよ」と、独り言のように言う。

そして「元気なころは、おれが、おれが、と言う気持ちで生きていたけれど、不自由な体になってからは、すべておまかせだよ。花や木も私のように自分では思うように動けないから、自然におまかせで生きているんだよな」
と言う。

この地球上に住む動植物は、人間が誕生する何億年も前から、大自然の大きな力に育まれ、摂理をまもり、自然の力におまかせで、生かされて生きて来たのです。それがわずかここ百年足らずの間に、欲深い人間たちの活動により、また地球上のすべての生き物からみれば、ほんの一握りの生きものである人間の身勝手な行動により、山が姿を変え、緑が倒され、川や海が汚染され、紫外線から生命を守るオゾン層までもが破壊されてきているのです。その結果、多くの動植物が滅び、生態系が変わり、このままでは地球が滅びてしまうとういう危機をもたらしているのです。

もし他の動植物たちが口がきけたとしたら「おいおい人間さんよ、俺たちゃ長い間、生かされている自分を感謝しながら、みんなでこの地球を大切にしてきたんだ。それを新米のおまえさんたちが、勝手に食い散らかして、大事な地球をこんなにしてしまってどうしてくれるんだ。俺たちより少しくらい頭がいいからといって、自分勝手はやめてくれ」と言うに違いありません。

 お釈迦様は、お悟りをひらかれたとき「山川草木、悉有仏性」と言われました。 山も川も、草も木も、鳥も魚も、すがたかたちは異にしていても、この地球上に存在するすべての物にいのちがあり、それらは私たち人間のいのちと同じように貴いものであるということです。そしてそれらは何一つとして無駄なものはなく、お互いに認め合い、支え合って共に生かされているということです。

人間は万物の霊長という、人間中心の考えは仏の教えにはないのです。

お釈迦様は二千五百年以上も前に、今日の人間の身勝手な行動を予見されていたかのようです。

 人間も自然の一部であり、私たちを取り巻く多くの人達のおかげ、天地自然のおかげ、この地球上に生きる他の多くのいのちおかげで、共に生かされて生きているということに気づき、かけがえのないこの地球を大切に守っていくことこそ、次の世代にひき継ぐ私たちの、大切なの智恵にほかならないのです。

鮎川博道

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