法話の窓

071 あたりまえの大切さ

 昔々、中国のある和尚さんに一人の修行僧が「和尚さん、冬になるとはどういうことですか?」と尋ねました。するとその和尚さんは「町のあちこちでは大黄(だいおう)が売り出されるよ」と答えたそうです。
 大黄とはタデ科の植物なのですが、どうやら当時は冬になると田舎の人々がその根を採ってきて、町で薬として売り出していたようです。いわゆる風物詩だったわけですね。

 後にこのお話を聞いた日本の大燈国師さんは、「寒くなったらコートを着るし、月が昇れば鳥も眠る。そういう事が皆のために力を尽くす事であり、自分のために力を尽くす事でもある」と言われました。
 これは一体どういう意味でしょうか?

 季節外れで恐縮ですが、私が子供の頃には夏になるとわらび餅を売る屋台があらわれました。おじさんが「カラン、カラン」と鐘を鳴らしながら、屋台を引いてやってくるのです。
 たしか1皿30円くらいだったと思いますが、舟のお皿にわらび餅が6~8個、その上にきなこをかけてくれるのです。まだクーラーもなかった時代、冷えたわらび餅のおいしさは格別でした。
 今思うと、炎天下の中で屋台を引いていた、あのおじさんのご苦労には本当に感謝しています。お陰で豊かな時間を過ごし、素敵な少年時代の思い出を作る事が出来ました。

 人間には、それぞれに時節因縁というものがあって、今の自分を取り巻く状況と無関係には生きられません。だからこそ、今の自分のなすべきことは何か?ということを自分自身で考えて、行動する事が大切です。
 学生さんは勉強し、社会人になれば働く、そんな一見退屈であたり前に思えることが人生では重要です。実はそれが社会の役に立つ事であり、自分自身の幸福にもつながるのです。

山本文匡

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