法話の窓

070 親にだけは言わないで

 先日テレビを見ていると、こんな場面がありました

 ドキュメンタリー番組の中で、お店の中で万引きして見つかった高校生が店の事務所につれてこられて、こう懇願しているのです。

「学校に報告しても、警察に言ってもかまわないからどうか親にだけは言わないで下さい!」・・・・

 驚きの場面でした。親だったら自分の子供を遠慮なく叱るけれども、他人の学校の先生や警察の人は、少しは遠慮して叱ってくれる、ということでしょうか。警察に知られると大変だと思うのですが、その高校生は後のことはあまり考えてないようでした。

 親の前ではとてもよい子供であるかのように見せて、学校など、それ以外の所ではわがまま放題にふるまい、他人の言葉には耳を貸さない・・・そんな子供が増えているらしいのです。

 でもそんな、いわば『ゴマカシの人生』に自分の大切ないのちを費やしてしまってはもったいないと思いませんか?

 先日、あるお坊さんからこんなことを聞きました。

「人生には三種類ある。上品・中品・下品(じょうぼん・ちゅうぼん・げぼん)の人生だ。上品の人生とは、生きていて人に喜ばれ、死んで人に残念がられる生き方。下品の人生とは生きていて人に残念がられ、死んで人に喜ばれる生き方。中品の人生とは、生きてても、死んでてもどちらでもいい、と人に思われる生き方だ・・・」

 室町時代に、妙心寺の住職だった大休宗休(だいきゅうそうきゅう)という方は、人と話していてその人が他人をほめると、必ず尋ねたそうです。

「ほう、その人は死んだ人か?」

 その人が「いえ、今まだ現存の人です」と答えると必ずこういいました。

「ならばほめることは無用じゃ。その人もこれから先どんな失敗があるかも知れん」

 また逆に、人を悪く言うものがあると

「その人は死んだ人か?」「いえ、まだご健在です」

「ならばそしることは無用これから先どんな手柄をたてるかも知れん。人の善悪は死後にならねば申せぬものじゃ」・・・

 残念ながら人間は必ず死にます。もう二度と生き返りません。たった一度しかない人生だから『どう活かす、わたしのいのち』と自分に問いかけるのを忘れてはなりません。

豊岳澄明

ページの先頭へ