法話の窓

065 磨けば光る

 私が中学校の時の校長先生が、よく言われていた言葉は「君たちはダイヤモンドの原石だ。お互いに切磋琢磨して磨けば光る」でした。ダイヤモンドは宝石の王様で、あの輝きや透明感、更に石の硬さも他を凌ぎます。この硬さこそが宝石には欠かせない要素なのです。実は宝石は、その石よりも硬い石に磨かれる事によって、それぞれの輝きを放つのです。つまり、最も硬いダイヤモンドは、ダイヤモンドによって磨かれるのです。

 私は禅の修行を経験して僧侶になり、この言葉の教えを改めて知らされました。

 妙心寺の開山、無相大師は「請う、その本(もと)を務めよ」と教えられています。

 「その本」とはなんでしょうか。それは、山の中に埋もれていたダイヤモンドの原石である黒い石ころが、磨かれる事によって本来の輝きを取り戻すかのように、私たちもまた、純粋で透き通った清浄な心を持ち合わせて生まれてきているのです。

 その心は、お釈迦様や無相大師、両親や祖父母、更には生きとし生けるもの全てに、生まれながらにして備わっています。まさに誰もがダイヤモンドの原石に違いありません。

 その原石たるところの、純粋な心に目覚め、皆が同じ光を照らし照らされる暮らしを務めていくという事が、無相大師の想いではないでしょうか。

 しかしながら私たちは、その輝きを抱きながらも、なかなか自分が原石だという事に気付いていないのです。それどころか、欲にまみれて自ら輝きを遮ってしまっていないでしょうか。

 自分を覆っている煩悩という泥や汚れを、少しずつでも取り除いていく事が、自分自身の光を取り戻すきっかけになるはずです。

 瓦を磨いたところで鏡にはならないように、私たちも、磨いて光らすのではなくて、「初めから光っていたんだ」と気付いていく事が肝心なのです。

 ダイヤモンドがダイヤモンドによって磨かれて、元の光を取り戻すように、私たちもお互いに同じ石同志、磨き合い、照らし合って、今一度自分を見つめなおして、相手と一体になりながら、切磋琢磨して生きていきたいものです。そうする事によって、自分だけではなくて、相手にも輝きを与えられるのですから。

福山宗徳

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