法話の窓

044 七転び八起き(ななころびやおき)

 夏がおわり、赤とんぼをみかけるようになると、涼しい秋風が疲れた私たちをやさしく癒してくれます。そんな自然も、ときには人間にとって脅威となることもあります。

 昨年のスマトラ沖地震では、津波でたくさんの尊い人命が失われました。観光地として有名なタイのプーケットも甚大な被害をうけました。しかしながら、「ふたたび、観光客を・・・」という願いから、現地の方をはじめ、ボランティアの方々の努力によって、現在ではほとんど復旧が終わっているそうです。復旧のはやさもさることながら、現地の方は、あることに驚いているそうです。

 津波が去った後、そのビーチには歩けば音がなるほどのきれいな白い砂浜がよみがえったというのです。津波が海底の珊瑚砂を運んできたのです。人々の夢と希望を奪い去った津波が、プーケットに美しい自然を運んできたのです。

 人生楽あれば苦あり、生きていると、楽しいこともあれば、苦しいこともあります。楽しいことばかりを願っても、そうはいかないのが人生です。家族の死、大切な人との別れ、仕事の悩み・失敗など様々です。

 「七転び八起き」という言葉があります。転んでも、転んでも起き上がる、苦しいとき心を奮起させるための言葉としてよく使われます。「七転び八起き」、よく考えれば七回転んだら、起き上がるのは七回のはずです。八起き、なぜ一回多いのでしょうか?

 吉川英治さんは『草思堂随筆』のなかで「行き詰まりは展開の一歩である」と書いています。津波によって途方にくれたタイの人々、復興していくにあたって目の当たりにしたもの、それは忘れかけていた白い砂浜、うつくしい自然です。

 私たちは、苦しみから大切なことを学ぶことができ、平等に八回目のチャンスが与えられています。どんなに転ぼうとも、起き上がるとき、そこには新しい道が開けてくることでしょう。

小林秀嶽

ページの先頭へ