法話の窓

042 おたがいさま

 新潟で大地震があり、たくさんのボランティアの方が駆けつけましたが、その中に神戸からのボランティアの方がいらっしゃいました。新聞の取材に答えて、「私たちが被災したときにたくさんのボランティアの方に助けていただきましたから、今度は私たちがと思ったのです。こんなときは『おたがいさま』ですから・・・。」と。

 毎年夏の子どもたちの坐禅会で、大切なものを呼ぶときはどのように言うかなと質問しました。「お金」「お年玉」...「おしり」?...。そうだね、頭に「お」をつけるよね。では、もっともっと大切なものはなんて呼ぶかな。子どもたちは答えました。「おつきさま」「おほしさま」。「お」だけでは足りないぐらい大切だから、最後に「さま」までつけるんだね。かわいらしいことばが並びましたが、最近では聞くことがなくなりました。


 神戸からのボランティアの方のことば「おたがいさま」も、最近では聞くことのなくなったことばで、日本人は「たがい」というのを大切にしていたんだと気づかされました。

 そこで、あらためて私たちの身の回りを見てみるとどうでしょうか。

 「植物」は二酸化炭素を吸収して酸素を作ってくれます。それどころか私たちの食べ物にもなってくれる。私たちは、種をまいたり肥料や水をやったりして、おたがいさま。

 「動物」も私たちの食べ物になることはもちろん、ペットは私たちを癒してもくれます。私たちは、餌をあげたり、うんこを片付けたり、散歩をしたりとおたがいさま。

 動植物だけではありません。おたがいさまは、時間軸にも当てはまります。「こども叱るな来た道じゃもの、年寄り嫌うな行く道じゃもの」と、子育てをしながらも親として成長させてもらい、介護をしながら人生を学ばせてもらったり、人生の時間軸でも「おたがいさま」。

 腹が立つとき、苦しいとき、悲しいとき、喜怒哀楽、生老病死の人生の一こま一こまで、「おたがいさま」は私たちのこころに一陣の涼風を運んでくれることばです。口に出さずとも、こころの中で使っていきたいものです。

宮田宗格

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