法話の窓

039 仏はわが心にあり

 以前、妙心寺派の教学部長を勤められた平田寺住職 竹中玄鼎師からこんな素晴らしい話を聞きました。

 静岡県相良町にお住まいで、平成10年(1998年)11月18日に113才で日本一の長寿者に認定され、翌平成11年2月に114歳で亡くなった、「秋野やす」という妙好人のような老婆がいた。この方は地元の方々から『おやすさん』と呼ばれ親しまれていた名物ばあちゃんであった。

 おやすさんは信心の念もたいそう厚く、おやすさんの生家のご先祖は平田寺に祀ってあったから、晩年まで足腰が達者だったおばあちゃんは、始終よく、お寺へお参りにやって来られた。

 ある時「おやすばあさん」が、お寺の位牌堂でお参りしていた時、若い男女がそこに入って来て、某家の位牌の前で合掌し丁寧に礼拝をしていた。
 「おやすさん」が声を掛けた。「あんたら。何だえ?」。
 若い二人は「私たち近々結婚するので、先祖に報告に来たんです」。
 それを聞いて「おやすさん」は、自分の事のように大喜びをしたが「それで、お前らには先祖さまが見えるかえ」と問いかけた。
 勿論若い二人に、その問いに答えられぬのは当然。
 私も「えっ!」と思うだけで。何と返事すべきか答えに迷うことだったが、何と「おやすさん」は「お前らには見えんのか」「そうだが。お前らには先祖さまは見えんかもしれんが、先祖さまの方からは、お前らのことがよく見えているんだよ」とさらっと言ってのけたのである。

 このおやすばあさんの「先祖が見ている」という話......。これはちっとも不思議なことではありませんし、決してオカルトではないのです。

 皆さんも、合掌し礼拝する。そしてそっと目を閉じ、心静かに自分を調えて亡くなった方を偲べば、その人の面影や生前に言われた言葉が、まるで昨日のことのように、否、まさに今ここに居られるが如く鮮明によみがえってくるでしょう。
 亡くなられた方が遠くの世界ではなく、もっと自分の身近に、自分の周りにおられるように感じられると思います。

 禅では「仏はわが心に在り」と教えています。つまり仏とは、あなた方お一人おひとりの心の中におられるのです。おやすさんはきっとそういうことを言いたかったのではないかと思います。

 信心とはこういうことだと思いますし、またご先祖さまがいつでも見ていると信じられれば、私たちの生き方の過ちも自ずと少なくなるはずです。

五葉光鐵

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