法話の窓

029 おこるとそんする?

 『仏教聖典』にある話です。非常に気が早く怒りっぽい男がいました。その男の家の前で二人の人がうわさをしていました。「ここの家の人は大変よい人だが、気の早いのと、怒りっぽいのが玉に瑕だよ」と。それを聞いたその男は、自分の悪口を言われたと思い腹を立て、すぐ家から飛び出してきて二人におそいかかり、なぐるけるの乱暴をして、とうとう二人を傷つけてしまいました。腹を立てて自分を見失い、相手を傷つけ自分自身を害し積んだ功徳を台無しにしたのです。

 瞋恚(いかり)は、貪欲(むさぼり)と愚痴(おろかさ)と共に「三毒」と呼ばれ、わが身を滅ぼしてしまう煩悩の一つです。お釈迦様は「山の人を押しつぶすがごとく いかりは愚かなる者を押しつぶす」と瞋恚(いかり)を戒めています。

 江戸時代の高僧、至道無難禅師が、ある人から「道心を守る人は、踏み倒されても打ち伏されてもかまいなし、とはどういうことですか?」と質問をうけました。禅師は「仏道を学び修行する人は、他から踏み倒され、打ち伏され、悪し様に罵られる仕打ちを受けても、それをありがたいと悦ぶ事のできる人なら、過去現在未来の自分の犯して来た罪は即ち滅する。たとえ悦ぶ事が出来なくても、何とも思わぬ心で受け止められるならば、これまた罪が消える。しかし、腹を立てたならば、罪は増すばかりで消えることはない。畜生道に落ちて牛馬に生まれ変わるぞ」と忍辱(腹を立てない)を行なうことの困難さと徳の偉大さを教えています。

 さて、藤井輝明さんの著書『運命の顔』(草思社)を読みました。藤井さんは、幼児期に血管腫という病気にかかり顔に大きな腫瘍があります。そのため小さい時から現在に至るまで、いじめや偏見や差別を受けて大変苦労してきました。それでも両親や先生や友達など理解者に恵まれ勉強や運動や趣味に打ち込みました。大学卒業の時、恩師との出会いにより「病気を抱えた自分自身と向き合い、同じ病気で苦しむ人の思いを何とかしたい」と気づきました。それから努力に努力を重ね四つの大学や大学院を出て医学博士、看護師、行政書士の資格を持ち、現在「熊本大学医学部保健学科看護学専攻教授」として教鞭をとっています。また差別偏見を無くすための講演、交流活動、NPO法人活動、ハンセン病療養所で看護部研修指導、その他幅広い社会活動も行なっています。

 藤井さんは自著の中で「私の顔を、まるで宇宙人に会ったかのように興味深げに見る人たちが数え切れないほどいます。(中にはつばを吐きかけてくる人もいる)・・・そういう人たちに対してかつては目いっぱいの怒りを視線に込めてにらみ返していました。これはものすごく疲れることで、不愉快な気持ちになってしまいます。(ただでさえ、ジロジロ見られることが大きなストレスになっているのに、そのうえわざわざ自分から嫌な思いをすることはないじゃないか)そのことに気づいてから、私は笑顔でおじぎを返すようになりました」と言います。蔑むような鋭い視線にも笑顔でおじぎを返す藤井さんのことを読みながら、至道無難禅師の「道心を守る人」の言葉が重なりました。私は藤井さんと同年代ですが、足元にも及ばない自分を恥ずかしく思います。けれども、こんなに精進をしている方がいらっしゃるのだから自分も見習っていこう、と本当に大きな勇気を与えられました。ご一読をおすすめいたします。

水野 宏宗

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