法話の窓

028 式 Ceremony

 入学式に卒業式、始業式に終業式。結婚式があって、銀婚式があって、金婚式があって、離婚式というのは、あまり聞いたことがないけれど......。なぜ人は、節目や変わり目に「式」と名がつく儀式をおこなうのでしょうか。

 大漢和辞典を調べてみると、「式」という字には「決まりや法律」の意味があるといいます。入学式で新しい学校のルールをチェックして、結婚式でおたがいにまもるべきマナーを確認してみる。形式ばかりの儀式無用論もおおいけれど、儀式にいのちを吹きこむのは、何なのでしょうか。

 さて、何度も経験できる「式」もあるけれど、一生に一度しかない「式」もある。今年の成人式は一月十日。誰にだって青春が一度しかないのと同じに、成人式も一度しかない。でも、その祝い方は、百人いれば百通りのすごし方があります。

 太郎君の話をします。二十歳になった太郎君は、車イスの生活です。生後六ヶ月で手術した小児ガンの後遺症で、歩くことができないのです。

 そんな彼にも、成人式の通知が市役所からきました。でも、会場には車イスの行くてをはばむ、いくつもの階段があります。彼は欠席することにして、ひとりで成人を祝うことにしました。それは、ずっとやってみたいと思っていたパチンコをすることでした。

 太郎君はあるパチンコ店に、車イスではいっていきました。でも、パチンコ台の前には固定された椅子があって、近づくことができません。哀しくなって店を出ようとした時、店員さんが事務所から工具を持ってきて、一台の固定イスをはずしはじめたのです。数分で、車イス用パチンコ台の完成です。店員さんの教えるようやってみましたが、財布の中の三千円は、すぐになくなってしまいました。でも、それだけでうれしかったのです。


 ほんとうの成人式は、ハンディキャップを拒絶する市民ホールではなく、街の中の優しさにあったのです。人、それぞれの成人式があります。儀式に温かいいのちを吹きこんだのは、優しさだったのです。

花岡 博芳

ページの先頭へ