法話の窓

017 感謝の気持ちを大切に

 皆さん、自分の胸に手を当ててよく考えてみてください。「最近私は素直な気持ちで心から『ありがとう』と言ったことが何回あるだろうか?」と。

 小さいときは何のためらいもなく言えた『ありがとう』という言葉。しかし年を重ねるに従って照れやら、恥ずかしさがじゃまをしてなんとなく言い辛くなる言葉の一つでもあります。

 最近東京に住んでいる兄が入院することとなりました。一人暮らしなものですから母が看病に行くことになりました。しかし母は飛行機にも一人で乗ったことがなく、東京に行くのも初めてです。寺の方も忙しく私もついて行くことが出来ません。それでも母は飛行機の乗り方やら、地下鉄の乗り継ぎ方を一生懸命メモをとりながら何とか目的地に着いたそうです。

 先日、私も兄の見舞いに行って参りました。母は毎日面会の時間になると必ず兄の病室を訪ねていました。会う時間もそう長くはなく、言葉もそれほど多く語り合っているわけではありませんが、兄の表情を看ていると、なんとも言えぬ安心したような様子がうかがえました。母親の子供に対する愛情の深さを身にしみて感じた次第です。

 「知恩」という言葉があります。臨済録という書物の中に出てくる言葉ですが、「恩を知る」という意味です。「知恩」この言葉のもともとの意味は「なされたことを知る」というそうです。父母が私たちに何をしてくれたのか、わたしたちはそれをしっかりと知らなければならないのです。私たちに生命を与えてくれ、育ててくれた。その苦労をしっかりと知らなければならないのです。

 それが本当にわかったとき、感謝の気持ちが自ずと芽生えてきます。

 最後にアメリカ先住民族の一つであるミンカス族の格言を紹介させていただきます。

『感謝する理由が見つからなければ、落ち度はあなた自身にある』

宇都宮 大隆

ページの先頭へ