法話の窓

014 持戒 自分が愛おしい

 学生時代に「雪祭りを見に行こうよ。」と、友人に誘われて、北海道へ遊びに行った時のことです。青函連絡船を降り、次の電車に乗り換えるために電車のホームへ移動するわけですが、連絡船に乗っていた人たちが一斉に電車を目指して走ります。もちろん私達も走りました。ホームには雪もあり、滑ってころんでいる人もいました。遅い人を押しのけて、ひたすら電車目指して走り、何とか自分たちの席を確保することができたことを覚えております。

 あれから二十年以上が経ちましたが、今、改めて大人の目で、当時の自分自身を振り返ってみますと、自分だけが楽をしたい、自分だけがゆっくりと座って行きたい、ころんでいる人がいても、それはむしろラッキーなことで、とにかく自分達さえよければ、という狭い心で電車に乗り込んだように思います。

 今思えば、恥ずかしい気持ちと申し訳ない思いでいっぱいなのですが、しかし、こういった経験は、どなたも一度や二度ならずとも思い当たるふしがあるのではないかと思います。やはり人間誰しも、自分が一番かわいくて愛おしいものなのです。

 その証拠に、世の中を眺めると、遊ぶお金が欲しいから、自分の欲しいものを手に入れるためにと、自分勝手な都合で他の人の命を奪ったり、傷つけたり、あるいは騙したりという事件がしょっちゅう起きては、日々、新聞やテレビのニュースをにぎわしております。

 このところをお釈迦さまは
「人間は誰しも、おのれ以上に愛おしいものを見つけることはできない、だから、おのれの愛おしさを知るものは、他の人もまた、その人自身がもっとも愛おしいのだということを知って、傷つけてはいけない。害してはいけない。」と示されました。

 菩薩の六つの実践徳目(六波羅蜜)の一つに「持戒」があります。これは、「何よりもわが身が愛おしい」ことに気づき、他の人もまた、その人自身がもっとも愛おしいのだということを知り、「人に迷惑をかけない、人の邪魔をしない」ということであります。

 皆さんも、ご自分の心の奥底をゆっくりと覗いてみませんか。

渡辺 隆法

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