法話の窓

011 ほとけのいのち

 今、春まっ盛り。一年のうちでも、最も過ごしやすい良い季節を迎えました。

 この季節の中、我が家では長男が誕生し、新しい家族が一人増えました。私は、一つのいのちを授かるという素晴らしいご縁によって、言葉ではとても言い尽くせないほどの感動を受けました。それと同時に、いのちの素晴らしさについて深く考えさせられる出来事があったのです。それは子供が生まれてからしばらくの間、私が毎日、病院へ通っていた時のことです。

 その病院の産婦人科病棟には新生児室という部屋があり、生まれた赤ちゃんが並んで寝かされています。その部屋の廊下側はガラス張りになっており、新生児室の様子が自由に見ることができるのです。そこには赤ちゃんの両親や親族の方はもちろんのこと、他の病気等で人院されている方もたくさん見に来られますし、それ以外の用事でそこを通る人も、ほとんどといってよいほど、そこで足を止めてしばらく眺めて行くのです。

 実は、その時の皆さんの顔が、まるで我が子を眺めているような良いお顔をされており、とても和やかな顔つきでニコニコしているのです。その表情を目の当たりにするにつけ、病院の中でも、ここは心が癒される場所なのだなあとつくづく感じました。

 赤ちゃんにしてみれば、自分が大勢の人を癒してるのだという自覚があるはずもありませんが、確かに見る人々の心を自然に癒しているのです。逆に見ている人はといえば「かわいいなあ」、あるいは「元気で育ってね」などと、いたわりの心でもって眺めていることでしょう。無意識のうちに、お互いを無心にいたわりあっているのです。

 このように無心に働く慈悲の心のことを、仏教では「仏のいのち」とよんでいます。人は誰しも生まれながらに、その尊い心を本来持っているのです。

 とかく現代社会は、移り変わりが激しい世知辛い世の中と言われていますが、仏性に生かされている人の心は決して変わらないものなのです。反対に、こんな世の中だからこそ、お互いのうちにある尊いほとけのいのちを見つめ直し、こころ豊かに生きて行くことが大切なのではないでしょうか。

武山 寛仁

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