法話の窓

004 レコードを知っていますか

 私の子供達はCDしか知らない世代で、私がレコードを聞いているのを見て、目を丸くして驚いていました。たぶん皆さんも音楽をCDやダウンロードして聞いているでしょうね。

 さて、CDと違ってレコードは、針が溝をなぞって発生する物理的振動を電気的に拡大するアナログ音声です。ですからデジタル音声と違って、安定した回転と機種の性能によって一台ごとの音色が、かなり違うんです。又、曲が進むと針が周辺部から内側に向かって移動してゆき、中心の手前で針を手で持ち上げてやらなければならないんです。面倒ですね。そこで思い切って、二十年来愛用していたレコードプレーヤーをリサイクルして下取りし、オート・リターンの新機種に変えようとした時のことです。

 その若い店員はこう言いました。
「私らは商売なので、こう言うのも変ですが。お客さんの機種は、古いけれど、バブル経済が破綻する前に、企業が競って技術の粋を集めて良質なものを作っていた時代のものです。今ではお金では買えないものです。それに較べて最近のものは便利な機能があっても、コストを削ることばかりが第一です。正直に言うと買い換えはお勧めできませんね。」と。

 ビックリしました。お金や便利さに換えることのできない価値についてこの若者に改めて教えられた気がしました。企業活動のあり方、仕事への取り組み方、人間としての生き方、手間をかける喜び。

 人をレコードの溝にたとえれば、人生の音色を奏でる針は、どう生きるかという価値観の「指針」、その土台となる安定した回転盤が宗教ではないでしょうか?画一的なデジタル音声ではなく、自分しか出せないアナログの音色をぜひ人生に響かせて頂きたいと思います。

 お釈迦様は恵まれた地位や財産、環境を捨て、一人の人間としてどう生きるべきかを模索し、お悟りを得て、生涯人々に安らかな心のありかたを説いた方です。

 肩書きや利益のみでない心の豊かさや人間としての尊厳に溢れた生き方。それを求める人々の「良き先輩」としてお釈迦様を見るならば、「仏教」はより身近に感じられるのではないでしょうか?

梅澤 徹玄

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