法話の窓

003 合掌で仏の心を

 私たち日本人は合掌というと、ご先祖や仏像を拝むときの形、という意識が強いのですが、東南アジアなど多くの仏教国では、日常の挨拶の形として合掌の習慣があります。インドではナマステー。タイではサワディカー。スリランカではアイボワンと言って合掌して挨拶をします。

 挨拶のお辞儀にしても握手にしても、相手に対して「あなたに敵意はもっていませんよ、仲良くしましょう」という心を許した形ですが、合掌は両手を合わせるのですから、これ以上相手に対して身も心も柔順な形はないのです。

ケガや病気の「手当て」と言われるように、手を当てるだけで痛みが和らいでいくような気がします。「手のひら」からは不思議な鎮静力が発散されていると言われています。その「手のひら」をピタッと合わせて合掌するのですから、自然と心が穏やかになってくるのです。

インドやタイの人たちは合掌することによって、穏やかで平和な心になれるということを何千年も前から知っていて、それを挨拶の形に取り入れているのです。

 確かに合掌しながら他人の悪口を言ったり、欲深いことを考えることはできません。合掌という「形」をとることによって、「心」のほうがそれにつれて落ち着いてきます。争いの心や、損得、憎しみの心も消えてしまうから不思議です。つまり合掌すると自然に、わたしたち凡夫を悩ませている、三毒五欲の悪い心が消え、仏の心に近づいて来るということです。

静かに合掌している姿は、はたから見ても本当に美しいものです。悲しいとき、つらいとき、怒りや執着を感じたとき、静かに手を合わせましょう。お互いに拝み拝まれる日暮らしをしていきたいものです。

鮎川 博道

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