法話の窓

【清泉】さわやかな朝(2013/11)

 平均すると毎月一回程度、五時間半の時間をかけて、ご本山妙心寺へ上山させて頂きます。
 愛媛県南西の山間にある宇和町から京都まではかなりの道程(みちのり)になります。
 午後からの会議だと早朝一便の列車に乗車すれば間に合うので六時前に寺を出立します。
 十一月になりますとさすがにその時間はまだ暗く人通りもほとんどありません。
 ある朝のことです。無人の駅構内に入って、老女とおぼしき人影がしゃがみこんでおられるのをみて、佇(たたず)んでしまいました。
 「放ってはおけないな。でも関わっていると会議に間に合わなくなる。どうすれば良いのだろう」と、思っていました。
 少しずつ近付いて声をかけようとして、はっと気付きました。
 気分でも悪くなられて、しゃがみこんでおられると思い込んでいたその人影の手には、小さなちり取りと箒が握られ、無人の薄暗いホームのお掃除をしておられたのです。
 知らぬ顔をして通りすぎ、階段を登って向い側のホームへ渡り切った頃には、数名の人がホームへ入ってこられ、少しずつ明るくなりはじめてきました。その頃になると、老女はすーと影が消えるように立ち去って行かれたのです。
 この時は、出張の間も帰って来てからも、心の中がさわやかな思いに満たされていました。
 いつの間にか忘れていましたが、思い起こすたびに、これこそ真の『陰徳(いんとく)』と名前も顔も知らぬ老女がいとおしく思われます。

  『陰徳』...人に知られぬよう施す恩徳(『広辞苑』)
    私共禅宗では陰徳を大変重んじております。
    右の手が行った良い行いを、左の手が知らぬように、
    右の耳が聞いた良きことを、左の耳は知らぬように、
    良き行いを積み重ねて、お徳を積んでまいりたいものです。

 

   〜月刊誌「花園」より

小田実全(おだ じつぜん)

ページの先頭へ