法話の窓

【清泉】臥(ふ)せる菩提さま(2013/07)

 四十年も前の出会いですが、今でも不思議なほど鮮明に記憶に残っている人がいます。


 その人は、病床に臥して十数年を経過しておられました。
 三十代半ばのその人は、十九の時に家業の材木の積み降ろしの手伝いの最中に、木材に挟まれて、下半身の自由を失って以来の入院生活でした。
 盲腸を癒着させて二週間の入院生活を余儀なくし、同じ病室で過ごした私はわがまま放題の中学生でしたが、なぜかその人の語りかけには不思議と心を和まされたものです。
 病床の中で気分の優れた日にはタバコの空き箱で鍋敷きや手毬を器用に折り、他の病室やお知り合いに届けて、多くの人々に喜ばれておりました。
 その人は、一度も不快な表情を見せず、お世話をなさっておられる年老いた母親に文句の一つも言われたことがありませんでした。
 今でも、いつもニコニコとしておられたことしか、思い起こすことができません。
 私は退院後、数回お見舞をさせて頂きました。二~三年ほど経った頃、老母に
「長い間、お世話をかけました」
 このひと言を残して帰らぬ人となられたことを伝え聞き、それが心に深く残ったことが、いまでもその人を忘れることができない理由なのでしょうか。
 長い入院生活の中では、どんなにか厳しくつらいことがあったに違いありません。
 しかし、そんな中にあっても、美しい花を咲かせて逝かれました。
 人生の終焉を迎えるとき、感謝の言葉を伝えることができる人は、寿命の長短にかかわらず、すばらしく貴いことだと思わずにはおられません。
    〜月刊誌「花園」より

小田実全(おだ じつぜん)

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