法話の窓

【一滴水】新たな門出(2012/04)

 新学期の朝、ピカピカの一年生を真ん中にして、子ども達が桜並木の門の前を元気よく通っていく。
 いささか緊張気味に見えるけれど、初々しい新入生の通学は実にさわやかな光景です。
 私たちには、一生涯の中でさまざまな出発点があります。
 新しい人生の門出もあれば、心に決めたその時が最良の門出となることもあります。
 少しも目が離せなくなってしまったご主人を看るために、長年親しんできたご詠歌を、やむなく止めることになったSさん。看護一筋の、おしどり老夫婦生活も束の間、昨年の夏、ご主人の突然の他界でSさんの心にポッカリと穴があいてしまったようです。
 朝夕、仏壇の前で手を合わせていても、無性に淋しく、そんなある日、
 「そうだ、お爺さんには私のご詠歌を聴いてもらったことが一度もなかったね。今から唱えるから、よく聴いていてね」と、心静かに鈴鉦を振ってみたそうです。
 すると、心の中がスッキリとしてきて、
 「私には、お爺さんのためにご詠歌があったんだ」と気づき、思わず涙したことを話して下さいました。
 ふたたび、仲間入りされて、亡き夫の供養にと熱心にご詠歌を楽しんでおられるSさんを見て、まさに、心晴れての詠歌道に再出発をされ、ご詠歌を通じて、くらしの中で信心を培養しておられる姿は、とてもさわやかに映っています。
 あたかも、修行道場では数日間の庭詰や旦過詰と、入門をめざして若き修行僧が第一歩を踏み出している時期です。
 "ムー" "ムー" と、大死一番、無心になって自己を見つめ、修行する姿はとてもさわやかさを感じます。

 注)庭詰(にわづめ)    修行僧が入門の許しを乞うため、旅装のまま、庫裏の玄関で低頭し、ひたすら坐り込む。
   旦過詰(たんがづめ) 数日間の庭詰が終わったあと、さらに数日、勤行や食事の時以外、坐禅を続けること。

田尻和光

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