法話の窓

【随縁】いざと(寝聰)(2010/11)

 葬儀を終え、開蓮忌、初七日忌、そして二七日忌、三七日忌と供養が続いて行きます。
 私たちの地方では、二七日忌には、「いざと」が行われます。親族や近隣の人々がお世話をして、遺族を客座(上座)に着け、遺族を慰める座を設けるのです。
 そんな「いざと」の席で、古老より「和尚さん、『いざと』とはどう書くのですか」との問いです。行事の内容、心は弁(わきま)えているのですが、どう書くのか、誰もはっきりと判りません。
 『仏教辞典』等、仏教関係の書物を調べてもなかなか判りません。ふと、語彙(ごい)の多い『日本国語大辞典』(小学館)を思い出し、調べてみました。ありました。
 「寝聰」(いざと・いざとう)、目をさますのが早い。「いざとくあれ」の意から、ぐっすり眠ってしまうなの意。長崎県の平戸島で、葬式の夜から数日後に、親族近隣一同が金品を出し合い、仏前にごちそうを供えて、遺族を慰める行事。慰里、慰座祷、慰茶湯などの文字をあてている。葬式のあと、不安定な気持ちの人々に、何事も起こらぬようにと思いやりを示した言葉。

 まさに「いざと」でした。古来の風習が受け継がれていたのです。数年前まではそのようでしたが、近年、形が変わり、遺族が準備をして、近隣のものはお参りをするだけとなりました。しかし、姿、形は変わっても、遺族を、慰め励ます心は失われていません。
 遺族にとって、何よりの慰めは、身近な人びとの慰めの言葉です。親を亡くした人、夫を亡くした人、妻を亡くした人、子どもを亡くした人、それぞれの死に直面した人の、慰めの言葉は、悲しみの心に染み入ります。安らぎとなり、やがて元気の源となります。
 和泉式部(紫式部と並び称された、平安朝の女流歌人)が、幼い我が子の死を悼む歌です。
 夢の世に仇にはかなき身を知れと教えて帰る子は知識なり
  「幼くして逝い ったこども。そうか、わが子は、私にこの世の無常なることを教える為に、生まれそして死んでいった善知識、
  先生だったのだ。」
 和泉式部が、この心境に至るまでには、どれほど多くの涙が流され、どれほど多くの慰めの言葉を受けたことでしょうか。

微笑義教

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