法話の窓

【法悦】慈雨(2011/06)

    すべての
     いのちのもと
       きよらかな
        めぐみの雨


 六月は梅雨の季節です。陰湿なじめじめした不快な時節といわれますが、これは人間の身勝手なご都合の言葉で、大きな自然の働きから見れば、梅雨は稲作をはじめ多くの農作物の成長をたすけ、夏の渇水期の重要な資源となります。また、日本料理の紅一点の梅の熟する時節です。梅雨は甘露の法雨、めぐみの雨であります。
 地球の面積の七割は海が占めております。海は水によって出来ております、地球が水の惑星といわれる所以です。現在の地球上の生物発生の起源はこの海で、水は万物の生命の源であり、水無くしてすべての生物は生きられません。この水を甘露の浄水として大切にすることを教えて来たのが仏さまの教えであります。

 

 明治の傑僧 滴水宜牧(てきすい ぎぼく)禅師は若き日、岡山の曹源寺(そうげんじ)で雲水修行をしておりました。ある日、桶の底に残っていた余り水を、不用意に心無く捨てました。それを見た師 儀山禅師は厳しく叱咤し、水を大切にする心を教えました。禅師はこのことを深く反省し、道号を"滴水"とし、生涯一滴の水もおろそかにしませんでした。この水を大切にする心は、禅門の亀鑑(きかん=手本)として現在も大切に守られております。
 仏教では、水は人間の身体を構成している四大(地・水・火・風)の1つとして身体の重要な要素であります。健康な身体(いのち)は浄らかな水によって支えられております。
 海洋、風景、産業、潅漑、飲料と限り無き水の恩恵に感謝し、公害・汚染から水を守り浄化することが、人類の最大の課題です。
 流水は随所に変化しながら障(さわ)り無く、無心に流れて行きます。また、水は方円の器に従いその本性を変えません。清らかな水の性は、真実清浄な自己であり、随所に変幻する水の性は、無礙自在な柔軟心であります。
 水は私達に禅の心を教えております。

尾関義昭

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