法話の窓

【法悦】薫風(2011/05)

  さわやか さわやか 緑の風
  みんな楽しく 心を開こう

 五月は新緑一層に光を増し、生き生きとした香り高き薫風の季節です。禅語に「薫風南より来り、殿閣微涼生ず」と、深呼吸一番大気を吸って、さわやかに生きる活力とする好時節です。

 

 この薫風を起死回生の開悟の機縁とされたのが、元妙心寺派管長の山田無文老師さまであります。山田無文老師さまは、若き日東京に出て当時西蔵巡礼で有名な河口慧海師のもとで出家され、師の厳しい生活のもと勉学に励まれました。その結果、不幸にして当時不治とされた結核に冒され止むなく、郷里愛知県の山里に帰り闘病生活に入られました。お医者さまからも見放され、食事も口に入らず一日一日痩せて、病状は悪化していきました。郷里の実家の離れた一室は孤独と死との戦いでありました。誰も自分を見守ってくれるものはない、いつ死ぬか、精神的においつめられた人生の極限状態でした。
 ところが、ある夏の朝、病床から縁がわまでを全力を尽して出られた時。縁がわに白い南天の花が咲いておりました。「美しい花だなあ」と眺めておられると涼しい風がサッーと、やせた頬をなでました。なんと涼しい風だろう、今まで感じたことの無い涼しい風、なんと気持ちいいなあ、そしてハッと気付かれました。風とは空気だ。ああ空気が吸え吸え、存分に吸えと私にさけんでいる。私は渾身の力をこめて空気を吸った。生きよ生き
よと空気がさけんでいる。大自然からも私は見放されたと思ったけれど、空気は私が生まれてから以来、寝ても覚めてもずっと抱きかかえてくれた。大いなる目に見えない力によって私は生かされてもらっている。
  大いなるものに抱かれあることを
  今朝吹く風の涼しさに知る
 薫風によって心眼を開かれた若き日の無文老師さまの喜びの道歌であります。
 私達のいのちは、太陽の光、空気、水、すべてを支えている大地の大いなる無限の恩恵の中に生かされている。
  生かされて生きるや今日のこのいのち

尾関義昭

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