法話の窓

【随縁】続・戒を尊ぶ(2011/03)

「暑さ寒さも彼岸まで。」お彼岸の頃となりました。
 彼岸会は現在仏事が中心になっていますが、彼岸(悟りの世界)に到る修養週間、「仏道修養週間」と受け取りたいものです。
 彼岸に到る六つの道(六波羅蜜)の第二番目に「持戒波羅蜜」があり、『遺教経』の最初に説かれたことは「戒を尊ぶ心」です。仏弟子として修すべき三学〈戒(かい)・定(じょう)・慧(え)〉、その中心は戒です。
 世情は大きく乱れています。今、釈尊が「戒」を重んじられたことを、「持戒」の重要性を考えなければならないと思います。
  殺生(せっしょう) 〜いのちの尊さを考えない様々な殺傷事件 〜不殺生戒
  偸盗(ちゅうとう) 〜横領、窃盗、日常化した万引等々     〜不偸盗戒
  邪淫(じゃいん) 〜不倫、不純交遊、売春、買春等々      〜不邪淫戒
  妄語(もうご)   〜おれおれ詐欺、ばれなければよい等々   〜不妄語戒
  飲酒(おんじゅ) 〜飲酒運転、飲酒による暴力ざた等々    〜不飲酒戒
 以上の「五戒」さえ、充分に実践できないのが現代の我々です。「善いこと」「悪いこと」は充分に判っていながら、実行できないのです。それは何故か、私は「身についていない」から、知識として、言葉としての理解に止まっているからだと思います。

 

 「形は心を表し、心は形をつくる」という言葉があります。形のなかに心が宿っている。形を身につけることで心が身につくのです。心を、心のままに伝えることは容易なことではありません。「形」という、目に見えるもの、「言葉」という耳に聞くことのできるものにして、親から子へ、子から孫へと伝承され、受け継がれていくことが容易になります。
 「躾(しつけ)」こそが、「形は心を表し、心は形をつくる」の実践にほかなりません。「躾」という「形」の中に「心」が宿され、その心が身につくのです。
 今、あまりにも「食べること」が軽んじられています。このことと生命軽視の世情と無関係とはいえません。「いただきます」(尊ぶ、拝む、祈る心)、「ご馳走さま」(感謝の心)の食事作法(形)を通じて、「いのちを尊ぶ心」を身につけることが重要です。
 「生命は生命によって支えられる。」我々の命は他の命(食)を犠牲にして支えられています。食物を大切にし、粗末にしないことは、全ての命を大切にする心、それは不殺生戒の心です。

微笑義教

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