法話の窓

【随縁】戒を尊ぶ(2011/02)

 二月十五日は「涅槃会」です。お釈迦様のご命日です。
 二十六年前(昭和六十年)「仏跡巡拝の旅」に参加しました。
 一月二十九日、大阪国際空港を出発。バンコクを経由し、カルカッタ(マザー・テレサ女史訪問)〜パトナ(ビハール州知事表敬訪問)〜ナーランダ〜ラジギール(竹林精舎・霊鷲山)〜ブッダガヤ(成道の地)〜サルナート(初転法輪の地)〜ベナレスと経由して、二月三日、クシナガラに到着しました。
 白亜の「涅槃堂」が佇み、周りに沙羅樹が繁っています。
 沙羅の木は、日本のそれとは異なり、泰山木のような感じの樹木でした。涅槃堂内で法要を厳修しました。数日はやい涅槃会となりましたが、お涅槃の地での法要に、感激一入(ひとしお)でした。
 法要を終えたころには、夕方となり、茜(あかね)色の空に黄金色の夕陽が沈みつつありました。その日最後の訪問地、荼毘(だび)塚へ向かいました。荼毘塚(火葬の地)に着いたころには、すっかり日は暮れ、夕闇の中で法要を修しました。ふと、見上げると月が皎皎(こうこう)と輝いていました。この時の、清麗な月の輝きを未だ忘れることができません。

 

 お釈迦様が最後の説法(『遺教経』)の最初に説かれたことは「戒を尊ぶ」ことでした。

  汝等比丘、我が滅後において、当(まさ)に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重し、珍敬(ちんきょう)すべし。闇に明に遭  い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは則ち是れ汝が大師なり。若し我れ世に住するとも、此れに異なることなけ ん。

 「波羅提木叉」とはインドの言葉で、「戒律」を意味します。
 「私が死んだ後は、私の残した戒律を大切に守りなさい。それは闇夜の光明であり、貧しい人にとっては財宝でありましょう。戒律こそ、あなたの大いなる師です。もし私がこの世に生きていたとしても、この戒律以上のことを教えることはありません。」
 涅槃会を迎えるに当たり、「戒を尊ぶ心」を遺教の第一番に示されたことの意味を、しっかりと心に留めなければならないと思います。今、「無戒の時代」と言われます。  「ばれなければよい」との風潮が蔓延している現代社会にあって、「戒を尊ぶ心」を取り戻すことの意義は大きいものです。当たり前のことと受け取りがちな、「五戒」の一つ一つを深く学ぶことからの出発です。

微笑義教

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