法話の窓

【好日】徳を積む(2009/11)

 十一月十一日は、妙心寺を開かれた花園法皇さまのご命日です。法皇さまは『花園院宸記』という十四歳から三十六歳までの日々を綴った細やかな日記を残しておられます。その文中で多く出てくるのが「不徳のいたすところ」という自らを律する厳しいお言葉です。荒廃した時代のなか、国を憂い、苦しむ人民を憂い、私の不徳のいたすところである、と述懐される法皇さまに衆生への深い慈悲心を感じます。

 

 ところで、「徳」とは何でしょうか。辞書を引くと徳の意味は分かります。しかし、よく「徳を積め」といいますが、その積むべき徳とは何でしょうか。ある方が「徳とは、寛容(ひろい・ゆるす心)、謙虚(己を省み、相手を尊重する心)、思いやり(人の喜びを共に喜び、悲しみを共に悲しむ心)という三つの心を養うことです」と言われました。心したい言葉ですが容易ではありません。たとえば、ひろく、ゆるしていく寛容な心ですが、うらみはうらみでは鎮まらないと分かっていても、他をゆるすということができない自分がいます。さらに自身がゆるされている存在であることの自覚を持つことも......。
寛容、謙虚、思いやりという三つの心を養うことが、徳を積むことであり、いま、生かされている私たちの務め、それが花園法皇さまの報恩の心を実践することではないでしょうか。

 また禅宗では、専門道場で修行中に師匠から「陰徳を積め」と厳しく諭されます。その陰徳ということで昭和を代表する禅僧の一人であり静岡三島の龍澤寺で多くの修行僧を指導された山本玄峰老師(昭和三十六年 九十五歳で遷化)は次のように言われました。
「どんな障子でも、糊がなかったならば障子の桟と紙が離れて障子の役目をしない。しかし外から見ると、糊は有るか無いか分からない。お坊さんは、この糊のように、人の知らないところで、人と人が仲良くし、一切の物事が円満に成り立っていくように働いてゆかねばならないぞ。陰徳を積みなさい」
僧侶に限らず、深く心に刻みたい言葉です。

栗原 正雄

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