法話の窓

【好日】無くてもあたえる(2009/09)

 平成九年九月初旬、私はインドのムンバイにいました。その日はアジャンタやエローラの石窟寺院などを訪ねる南インドの旅の最終日で日本へ帰国する前日のことでした。宿舎のホテルでテレビをつけるとマザー・テレサ死亡の臨時ニュースが飛び込んでき、その夜は長旅の疲れも忘れテレビに釘付けになりました。

 

 私は、釈尊の足跡を訪ねることもさることながらノーベル平和賞を受賞した修道女マザー・テレサに会いたくて平成四年に初めてインドへ行きました。バングラディシュの内戦により国を追われてインドのカルカッタの街で家を持たず路上生活をする人々、また、その路上で倒れている人を運び看護する「死を待つ人々の家」と呼ばれる施設を訪ねた時のこと......。そのときの忘れられない光景が、マザー・テレサ死亡のニュースで蘇りました。
「死を待つ人々の家」は、病人を収容し治療する施設というにはあまりにも粗末な建物でした。ここを訪ねた日本の医師が「この施設には見るべき医療はないが、本当の看護があります」と言われたそうですが、確かに医療器具も薬も不足した状況です。しかし、若いシスターたちが常に微笑みながら病人の世話をしていました。「最期にはみんな笑顔で、ありがとうと言って亡くなるのですよ」とマザー・テレサは言われました。誰もが必ず迎える死について深く考えさせられた出来事でした。
マザー・テレサは、「最大の貧しさは、他者への無関心である」と指摘し、「無くても与える」ということを自ら実践、苦しむ人々に慈愛を惜しみなく与え続けました。八十七歳の生涯でしたが残された所持品は二枚のサリーといつも履いていたサンダルのみだったそうです。しかし、彼女が遺したものは大きく、はかり知れません。禅で説く「無所住」「無所得」にも通じる、なにものにもとらわれない対立分別に執着しない自由な生き方でした。

 

一生の終わりに残るものは

 

我々が集めたものでなく

 

与えたものだ

 

栗原正雄

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