法話の窓

【曲肱】支えられて(2008/04)

「支えられ 支えられてのお正月」

もう何年か前に檀家のあるおばあさんからいただいた年賀状にそえられていた一句です。
多くの子供さんに恵まれ、老後もみんなに大事にされて過ごされていました。
もう他界されたのですが、この句の支えられ支えられてのという言葉に本当に肉親のみならず、周囲の人たちによって今日の私があるというお気持ちが、ひしひしと伝わって来るのです。

生かされているという言葉は、そのままですが、本音が伝わってこないような気がします。

私が専門道場から帰ったのは、今から三十数年も前のことになります。僧堂に入る前は京都市内の某本山の学生寮に入っていました。
退寮式の日、寮長である管長様がおっしゃったことを覚えています。
多くが卒業後、僧堂に入っていくということもあり、僧堂に入ってからの心得をお話し下さったのです。
「京都の街は、朝早くから托鉢の声が響いておる。街の人たちは、声を聞いてみんなが喜捨をして下さる。誰も修行をしたいけれどもできないから、代わりにして下さっている雲水さんに、自分の修行のつもりで喜捨をして下さるんじゃからボヤボヤできんぞよ」と修行の意義、目的、厳しさを教え、正面に掛けられていた「天下第一人」の句を説いて励まして下さいました。

その後、間もなく雲水生活に入り、管長様の一言一言が生活を通して感じられました。

「おじちゃん、ハイ」と言って硬貨を差し出してくれる小さな子供、「ご苦労様です。ナンマイダブ」と喜捨して下さるお婆さん。「うるさいなあ、朝早よから!」と窓をピシャッと閉める方。托鉢をしながらもいろんな場面に出会いますが、これらのことが血となり肉となっていくのだと教えられてきたのです。

恐らく、おばあさんの支えられの句もただただ優しい言葉を並べ、甘えさせておけばいいという支え方ではなかったと思います。ある時は自立を促したり、叱ったりされた娘さんや息子さんのお姿もあったことでしょう。

考えてみれば肯定する人ばかりでなく、否定的な人も支えになっているということなのです。おばあさんは、子供さんたちに囲まれて九十余歳でこの世を去られました。四月八日、お釈迦様のお生まれになった日でした。

林 学道

ページの先頭へ