法話の窓

進歩と調和

 1970年、今から48年前に大阪万国博覧会が開催され、私は、その前年に仏門に入り、開催の年に花園大学に入学しました。折しも学生運動が終わろうとしていた時期であったものの、新学年の授業が始まったのは、確か5月か6月であったように記憶しています。そのお陰で、博覧会会場には何度か足を運びました。当時の先端技術を展示するパビリオンが建ち並び、そこには未来の都市空間がありました。
 当時、花園大学入学式において、山田無文学長の新入生に向けたお言葉は、万博を引用したものでした。 
 
  「大阪万国博覧会のテーマが『人類の進歩と調和』である。現代社会のどこに調和があるというのか、確かに科学技術は進歩したけれども、人の心の問題は置き去りにされている。これから花園大学で学ぼうとしている諸君には、この調和実現のために精進してもらいたい」

という要旨であったと記憶しています。
 あれから半世紀近く経った現在、科学技術は心の豊かさに資すために進歩しなければならないものが、逆に機械のために人間が存在するかのような錯覚さえ起きているようにも感じ、まさに人間疎外の時代です。

 「急緩節を得べし」とは、禅の修行道場において食事の供給をする者の心構えとして、徹底たたき込まれる所作です。食事は飯台座といって、食堂(じきどう)という簡素な飯台とゴザがあるだけの部屋で、物音ひとつ立てることも許されない緊張のなかで行なわれます。入門当初は、慣れないこともあって叱られることばかりであったものの、先輩の所作を見よう見まねでやっているうちに、この言葉がストーンと腑に落ちることがありました。

 節をわきまえることは、生きるうえにおいて必要なことです。たとえば、仕事と余暇など、今国会では、働き方改革法案について審議されていますが、静かでゆっくりした時間をつくり、心の喜びと充足を大切にしてこその人生であり、そこから明日への希望と活力が生まれてくるのではないでしょうか。

 

村上明道

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