法話の窓

094 渋柿(しぶがき)の 渋(しぶ)そのままの 甘(あま)さかな

 私の寺の境内には、本堂の屋根と並ぶほど高い渋柿の木があります。この柿は「蜂屋柿(はちやがき)」という優(すぐ)れ物の品種です。まもなく霜が降るのを待って収獲します。

 市内の蜂屋町原産の「蜂昼柿」という有名な干し柿は、熟練(じゅくれん)の農家の人たちがとてつもない手間をかけて作られます。昔、江戸の将軍(しょうぐん)さまに届けて、租税(そぜい)を免除されたほどの高級品で「献上柿(けんじょうがき)」と銘打たれた桐(きり)の箱に収められ、予約でしか手に入らないほど貴重なものです。お金のことを言っては品(ひん)が悪(わる)くなりますが、一個が千円前後もします。びっくりですが、その上品(じょうひん)な味にはだれもか納得(なっとく)します。一度は食してみて下さい。

 なお、私の作った干し柿は味も形も保証できませんが無料です。お年始のお客さまに召し上がってもらいますから、近くの方はおでかけ下さい。

 ところで、柿といえばこんな諺(ことわざ)を思い出します。

  桃栗(ももくり)三年柿八年 達磨(だるま)は九年 俺(おれ)は一生

   梅(うめ)は酸(す)いとて十三年 柚子(ゆず)の大物(おおもの)二十年

 (柚子の大馬鹿とも言いますが、私は大物と言い替えました)

 桃と栗は芽が出てから三年で実(み)を結び、柿は八年たってやっと実をつけます。達磨さんは、なんと九年間もみっちり坐禅(ざぜん)して、私たちの禅宗(ぜんしゅう)を始めてくださいました。柚子ほどの大物になると、なんと二十年にしてようやく一人前になるというのです。この諺は、樹木は種を蒔いてから実のなるまでに、それぞれに長い年月が必要なことを教えています。

 私たち人間も、同じ生身(なまみ)の生命です。いや、それ以上に個々(ここ)に複雑(ふくざつ)な生命(いのち)です。その能力(のうりょく)や性格(せいかく)のいろいろによって、また科目(かもく)や学問(がくもん)や職業に応じて、それぞれに長い時間が必要なのです。

 焦(あせ)ることはまったくありません。大器晩成(たいきばんせい)ともいいます。お寺の大鐘(おおがね)などのように大きく立派(りっぱ)なものは、簡単にはできあがりません。同じように偉大(いだい)な人物(じんぶつ)には年季(ねんき)がいるものです。私の人生(じんせい)です。一生かかってもいいのです。他人(たにん)と比(くら)べることはもうやめましょう。桃は柿ではありません。秋は春ではありません。私はわたし‥。私の全てを認めて、私のそれなりを活かしましょう。じっくりと手間(てま)をかけて甘みを出しましょう。

 渋柿の 渋そのままの 甘さかな

中西東峰

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