法話の窓

093 ゾウとシイタケ

 六人の目の不自由な人たちが、生まれて初めてゾウに触れました。足に触った人は「ゾウとは木のようなものだ」と言いました。しっぽに触った人は「違う、ゾウとはロープのようなものだ」。鼻に触った人は「何を言うか、ゾウとは大蛇のようなものだ」。わき腹を触った人は「バカだね、ゾウとは壁のようなものさ」。耳を触った人は「いやいや、ゾウとは木の葉のようなものだ」。牙に触った人は「ゾウとは槍のようなものだ」と言いました。

 同じゾウのことを指しているのに、それぞれの人は全く違う生きものだと思っているみたいですね。なぜでしょう。この六人の人たちは、ゾウのからだの一部分だけしか触っていなかったので、これがゾウだと思い込んでしまったんですね。

 こういうことは誰にでもあることです。例えば食べものの好き嫌い。私は子供の頃、シイタケが大の苦手でした。あのヌルっとした歯ごたえと独特な臭い。おかあさんは、私が何とか食べられるようにと、小さく刻んで料理に入れてくれたりしました。シイタケを見ると食べる前から心に「嫌いな食べ物」という思いが一杯になって、口に入らなくなってしまうのです。でも、シイタケが嫌いじゃない人にとっては、あの柔らかい歯ごたえや臭いがたまらないわけですね。

 あるとき、何気なくお鍋の中に入っているシイタケを口に入れると、今まで味わったことのないうま味がジワーッと口の中に広がって「あれ?シイタケってこんなに美味しかったかな」と思いました。不思議なことにそれからシイタケが食べられるようになったのです。シイタケの味は変わっていないのに、私の好みが「嫌い」から「好き」に変わったのです。それは今までの私が「嫌いな食べもの」という見方に縛られてしまい、シイタケのうま味を十分味わうことなく、その食べものの味を勝手に決めつけていたからですね。このままシイタケを嫌いと思い込みを続けていたら、一生シイタケの美味しさを知らずにいたかもわかりません。自分の思い込みで、美味しい食べものにあえるチャンスが少なくなるのですから、それってもったいないですよね。そう思うのは食いしん坊の私だけでしょうか。でも、それは食べものだけではありませんよ。友だちや先生との出会い、趣味や勉強との出会い、すべての出会いについても同じことだと思います。

 では、どうすればこの思い込みや決めつけをしなくなるのでしょうか。それは、簡単!思い込まないことです。決めつけないことです。「自分はものごとをすぐに思い込んだり決めつけたりしてしまうから、いつも反省しないといけないなぁ」と、自分を一歩引いてみて下さい。そして、一つの方向からだけではなく、いろいろな角度から物ごとを見ていくことが大切だと思います。

青井直信

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