法話の窓

069 ごめんなさい

 そうとは知らずに踏んでしまった道ばたの小さな蟻(アリ)にも、命がありました。 ...踏みつぶしてごめんなさい。

 頭を刺され、思わずパチン!とつぶしたあのいやな蚊(カ)にも、そうだった、たった一つの命がありました。 ...ごめんなさい。

 家族が「キャー」と大騒ぎするから、しゅっとひと吹き殺虫剤で退治したゴキブリにも、大事な命がありました。...ごめんなさい。

 毎年毎年、きれいな花を咲かせてくれた桜の木。大きくなりすぎてぐあいが悪いという私の身勝手な理由で、切り倒してしまいました。 ...本当に、ごめんなさい。

 お寺の庭のあちこちに咲いた、小さな秋の花。よく見ればかわいいのに「じゃまな雑草だから」って、片っ端から抜いてしまいました。おかげで庭はきれいになったけれど、草の命には、やっぱり申し訳ないことをしてしまった気がします。 ...ごめんなさい。

 

 こうしてみると、私はずいぶんいろんな生き物に、嫌なことをしているんだなぁ、迷惑(めいわく)かけているんだなぁ、って思います。あなたはどうですか?

 

 むかし見た映画で、びっくりするシーンがありました。仏教をだいじにするチベットという国の映画でしたが、そこで家を建てようとおおぜいのお坊さんが工事を始めたとき、地面を掘って出てきたミミズを、一匹一匹ほかの場所に移動させていたのです。それも、お経を唱えながら、そっとミミズを両手で持ち、別の土の中に戻すと、寝た子にやさしくお布団でもかけてあげるように、上から土をかけてあげていたのです。私には、その外国のお経が(ごめんなさいね)という声に聞こえてなりませんでした。

 この映画のモデルになったダライ・ラマ法皇14世というお坊さんは、のちに日本での講演で、こんなことを教えてくださいました。

「私たち命あるものはみな、人間だけでなく、小さな虫けらに至るまで、苦しみから逃れ、幸せを得たいと望んでいます」と。

 でも私たちは、自分の命や健康を守るために、人間にとって都合のよくない生き物には、害虫とか雑草という名前をつけ、退治することがあります。そんな時つい、「悪い虫や草なんだから命を取っても当たり前」って考えてしまうけれど、どの生き物にとっても、命は一つずつしか持てない大切なものです。

 そう考えると、相手にとって嫌なことをしてしまったときにはせめて、(ごめんなさい)っていう気持ちぐらいは持ってあげたいと思いませんか?

 そうそう。蚊や、小さな生き物の命を取ってしまったときにお唱えするとっても短いお経を、先輩のお坊さんから勉強したことがありますので、みなさんにも教えましょう。

「ニョゼチクショウ オウジョウアンラク ホツボダイシン」(如是畜生 往生安楽 発菩提心)

「ごめんなさい」という心で唱えてください。

長島宗深

ページの先頭へ