法話の窓

064 四国遍路の本当の意味

 私が住職するお寺がある四国には、四国八十八ヵ所といわれる八十八のお寺があります。
 この八十八カ所のお寺は空海という偉いお坊さんが開きました。八十八カ所全てを巡ると願いが叶うといわれていて、毎日沢山の人が「病気を治したい」「家族が幸せになりますように」など様々な願いをこめて巡っています。
 この八十八カ所を最初に周ったのは衛門三郎という人だと言われていて、このようなお話が残っています。

 伊予の国(現在の愛媛県)に衛門三郎という欲が深く、お百姓さん達を苦しめる長者がいました。お百姓さん達は空海に助けを求めました。話を聞いた空海は改心させようと衛門三郎のもとを訪ねました。すると、衛門三郎は怒ってしまい空海の持っていた鉢をクワで叩き、鉢は八つに割れてしまいました。すると、その日から衛門三郎の八人の子供が次々亡くなってしまいます。悲しみの中、自分の今までの行いを悔いた衛門三郎は空海に会って許しを得ようと身分を捨て、空海を追って八十八カ所のお寺を巡りました。二十一回目でとうとう病気になって歩けなくなってしまいますが、そこでやっと空海に出会うことが出来ます。そして今までの罪を懺悔し、空海より罪を許されると、そこで息を引き取ります。その後、伊予の豪族の家に男の子が生まれました。ですが、その子はなかなか手を開きません。そこで安養寺というお寺で祈祷をしてもらうと、赤ん坊の手が開き、中から文字を刻んだ石が出てきたというのです。「衛門三郎再来」と。その石は安養寺に納められ、安養寺は「石手寺」と名を改めました。

 

 私の父は、石手寺の小僧さんでしたので、小さい頃はこのお話をよく聞かされました。
 悪いことをしたからといって、子供が次々亡くなってしまうなんて、本当に怖いお話だと思ったのを覚えています。
 ところが、最近になって、このお話の本当の意味に気が付きました。

 空海は「般若心経秘鍵」という書物の中で
「仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し」という言葉を残されています。「仏さんとは遠くにあるものではありません。実は誰もが生まれながらに仏であり、それにただ気が付けばよいのです」という意味の言葉です。
 この言葉に沿ってみると、二十回まわっても空海という仏に追いつくことが出来ない(仏法遥かに非ず)、とうとう病で歩けなくなった時に出会えた(心中にして即ち近し)と解釈出来るのではないでしょうか。
 するとお話はこうなります。

 空海は衛門三郎に「あなたの心は地獄(八人の子供の死は八熱地獄)そのものだ」と教えました。衛門三郎は懺悔をし、空海という仏より教えを得ようと追いかけます。しかし、どんなに遠くまで追いかけても追いつかず、教えを得ることが出来ません。そして、とうとう力尽き追いかけることが出来なくなります。しかし、そこで衛門三郎は、仏様の教えは元より心の中にあり、自分自身が空海ともなんら変らない仏であったと気づくのです

 その後、衛門三郎は死を迎えますが、その仏心は受け継がれていきました。
 四国八十八カ所は、巡る目的は願いであったり懺悔であったり皆様々です。しかし、最後には自分自身の仏様を見つけさせてくれる。そんな旅なのではないでしょうか。

 

 私たちの大本山妙心寺の開山無相大師様のご遺言「請う其の本を努めよ」このお言葉も「私たちが皆、生まれながらに持っている、仏様の心に気がつきましょう」という意味のお言葉です。

曽我部祖純

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