法話の窓

062 強く生きなきゃ

 ロック歌手尾崎豊の歌の中に『はいつくばり、強く生きなきゃと思うんだ」というフレーズがあります。彼の歌には「人の命のうずきみたいなものとでも言おうか。痛みがあったと」音楽プロデューサー須藤晃氏は分析しました。
 現代に生きる若い人びとには伝えたいと願うのです。いのちの痛み。生きることのうずきこそが、大切な人生の第一歩なのだと。

 「人間を愛し、人間を愛し続けていくと、結局、孤独にならない」
と、尾崎は言う。こんな素晴らしい詞を歌う彼だからこそ強く生き抜いて欲しいと願ったのは多くのファンだけではなかった。

 

 仏教の経典を開いてみると、これでもかと言わぬばかりに無常と死が繰り返されています。「快楽はひと時のものである。人間の寿命は短い。死の来ないということはない。昼夜は過ぎて行き、生命も尽きてしまう。小川の水が涸れてしまうように、人間の寿命も滅びてしまう。」これでもか。これでも分らぬか。とばかりに繰り返し、繰り返し説かれています。

 人間として、生きたいと願っても生き続けられないいのちが、毎日毎日、この世に別れを告げて行きます。世界では戦争と飢餓の犠牲によりたくさんのいのちが絶えています。国内では、親が子を殺し、子が親を殺し、自らが自らの命を絶ったり、と悲しみに堪えない出来事によっていのちが絶たれています。
 だからこそ、生きて、生きて、生きぬいて欲しいと願うのです。地べたに這いつくばっても生きて欲しいのです。いのちの痛み、生きていることの疼きから目をそらさないで、まっすぐに向き合って生きて欲しいのです。

 

 みんなにかっこ悪いと言われても良いじゃないですか。死んでしまったら折角の歌が聞こえなくなってしまうもの。残念だと思いませんか。生きようとしても生きられないいのちがたくさんあるこの世に与えられた命を粗末にすることが。這いつくばっても生きてみよう。かっこ悪くても生きていよう。生きぬいてみよう。わたしたち和尚はみなさんとともに生きていきます。いつでも声をかけてください。

小田実全

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