法話の窓

038 お墓にお米

 法事のあとのお墓(はか)まいりで、お花や果物、そしてお線香とお水をお供えするのが普通です。ところがあるとき、それらに加えて、皆がそれぞれ、白いお米を少しずつ墓石の前にお供えしています。その様子を、私はお経をとなえながら、じっと眺めていました。

 こんな風に、時々お墓参りのときにお米をお供えする人がいるのです。お米は、現代の人々にとってはあまり重要には感じられないかもしれないけれど、昔の人々にとっては大変に大切なもので、その大切なものをお墓に(ご先祖様に)お供えしていたのだということを、私たちは知る必要があります。

 江戸時代の日本は、お殿様つまり各大名(みょう)がおさめる○○藩(はん)の集合体で、その各藩の大きさは○○万石(ごく)というお米の量で表されていました。その数字がその藩(はん)の大きさや財政の能力を表していたのです。また、お殿様の下で働いているお役人の給料はお米でした。お米がお金そのものだったのです。その大切なお米をお墓にそなえるという意味合いを、今一度噛みしめる必要がありそうだ、と感じます。

 ボランティアで海外の難民支援の活動などを行なっている犬養(いぬかい)道子さんが、インタビューに答えてこんな風に言っていました。『...幼いころ、年末になると母に連れられ、おみやげを持って近くの孤児(こじ)院を訪ねていったのよ。おみやげって私の大事にしている人形やおもちゃなの。子供心にどうして!って思ったわ。そしたら母に言われたわ。「自分のいらないものを人さまにあげても、差し上げたことにはならないのよ」って。...』

 私が、あるおじいさんから聞いたお話をご紹介しましょう。

...「わしが子供のときはお米の白いごはんがものすごいごちそうでなあ。わしらが食べるのは黒っぽい麦(むぎ)ごはんばっかり。

 じゃけど、毎朝オフクロがご飯を炊(た)くときに、麦の上にお米をひとつかみだけ載せて炊くんじゃ。そうすると、炊き上がったときに一番上にお米が少しだけ丸く白く炊き上がる。それを最初にとって、お仏壇(ぶつだん)と神棚(かみだな)へ差し上げるんじゃ。神様やご先祖様が本当にうらやましかった。

 その仏壇と神棚からご飯を下げるのは、昼過ぎに一番先に学校から帰ってきた子どもの役割。その子は役得(やくとく)で、下(さ)げたご飯を食べてもええ。だから子どもらは競争で学校から帰ってきたもんじゃ。」...

豊岳澄明

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